「社員に惚れられてこその社長」「マニュアルなんてくそくらえ」…。植木節全開!
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
曄道 そういうことができる人を大学は育てなくてはいけないと、私たちは考えています。大学にどんなことを期待されますか。それとも、何も期待していないですか。
植木
子どものころからのストーリーを、ある5人のメンバーに話したことがある。彼らが僕を分析してくれた。そのときに出てきた言葉が、二つ。まず、植木さんはお母さんの影響を受けています、というのが一つ。もう一つは、植木さんの中のヒストリーの重要キーワードは「責任と覚悟」だと。
こう言われて初めて気がついた。確かにそこを常に持っているんだと思いますよ。何かやりたいんだったら、それに対する責任は。でも、人間だから、失敗するときもある。そのときにどう落とし前つけるんだという覚悟。これだけ持っていたら、人間は強く生きられる。社長の覚悟は常に記者会見を開いて、全部、私の責任ですと、きょうをもって社長を辞任させてもらいますと、これで済むわけです。パイロットなんかは命を失う覚悟がなければ、できないですよ。それからすると、社長は楽なもんやなと。別の苦しさはありますが。
― 大学には、何も期待しませんか。
植木 いや、そんなことない。何でもいい、励むことを見つけて欲しい。勉学に励むのか。僕は高校1年生になったときに、全国共通模擬試験というのを初めて受けた。あなたは100万人いる高校1年生の何番で、偏差値が何ぼで、あなたが受験可能な大学、学部はこれで、という紙が出てきた。それを見たときに思ったのは、何でこんなテストに俺の将来決められないかんやと思ったんです。俺はこのままじゃ絶対に落ちこぼれになるという確信があった。だったら、どうすればいいんだ、でも、勉強しなくちゃいけないというのはわかっている、そうか、なりたいものを決めようと思ったんです。でパイロットになろうと決めた。
― なぜパイロットですか。どこからパイロットという職業が浮かんできたのでしょうか。
植木 思いつき。思いつきやけど、この思いつきがなかなかすばらしい思いつきをするわけですよ。天職だと言っているんだから。
― その前に慶応大学法学部に入っていらっしゃいますよね。
植木
航空大学校に落ちたんです、そのとき。1次学科、2次身体検査、3次技能適性検査、この2次で落ちた。落ちるはずがない。大学病院に行って全て調べてもらったから、それは間違いだと思って、当時の運輸省に電話した。「間違っています、私の番号がありません」と、「そうしたら確かに落ちてます」って。こりゃいかんと思って、その検査をした大学病院に、何が悪いのかと聞いたら、脳波。脳波まずいんやったら困るやん、これから。京大病院に行ってもう一度検査してもらったら、何も悪いところありません。そのデータをつけて文書で送りつけたけど、やっぱりだめだったんですね。しゃあない、あきらめたろかと思って、慶応に行ったんです。
そこから登場するのが、うちの変態おふくろなんです。大学に行って初めて彼女ができて、るんるんで京都帰ってきて、京都の友達と1か月遊ぶプランは立っていた。うちに帰ってみると、自分の机の上に、茶封筒が一つ置いてある。何やろうと思ってあけてみたら、航空大学校の入学願書なんです。「何やこれ、これどうしたの、おふくろが置いたの」と言ったら、「そうよと。あなたは先方からお断りを受けて、それで引き下がるつもりなの、一生負け犬のままなの? もう一回受けてやりなさい、受かって蹴ってやればいいじゃん、パイロットなんかくだらねえと言って」。そうたきつけられて、夏休みは猛勉強の時間になった。でも、それはなるほど、おふくろの言うとおりやなと。でも、身体検査で引っかかったわけですからね。えい、ままよと思ったら、受かったのよ。受かってから蹴るのも格好いいけど、やっぱり、パイロットになりたい。で、僕は1年だけ慶応に行って、航空大学校に入学した。おもしろい人生、歩いてますでしょ。
曄道 会長はパイロットが天職、一流であられたわけですよね。
植木 否定はしません(笑)。
曄道 今の学生たちには、一流に手を伸ばそうという感覚が余りないんです。同時に、我々が危惧することは、教育も画一的になっている。
植木 それは僕が絶対だめなやつです。「並」が嫌いな人間ですからね。
曄道
ただ、入試もそうだし、入試を経てきた学生たちを受け入れた後の教育も、「学問」という殺し文句がどうしてもついて回って、この学部学科を選んだということは、こういう教育を受けることですよという、また道筋、レールを敷いてしまっている。こういうことをやっていると自分の存在意義とか、存在価値ということを考える機会というのが乏しい。おまけに、会長もそうだったと思いますけれども、慶応に入られたら、1年生のときに教養科目をとるわけですよね。本来は、そこで自分の存在意義だとか他者との関係とかを考えるはずなのに、高校出たての1年生にだけ、それを提供しているわけですよ、ほとんどが。3年生、4年生でとる子たちは、ああ、いけね、取り損なっちゃったみたいな世界になっているんですよね。
だから、私は、それが今の大学教育の中で最も変えるべき核心だと確信しています。学生たちが何かに、例えば、一流に触れてみて、ああ、自分もそうなりたいと思うとか、あるいは、自分はほかとは違う進み方で、難しいかもしれないけれどこれがやりたいと思える機会を作りたい。今、まさに会長がおっしゃったように、何らかのきっかけがあったときに、そっちにふらっと変われちゃう、そういう可能性を与える教育というのができてないから、今、本当に教育を受ける側が学びを楽しめないのだと思うのです。
こんなことを、私が言っていたらかなりまずいとは思います。けれども私はすごく危惧をしています。本当に高等教育ってこういうものでいいんだろうかと。
― 既定路線に乗ったほうがいい。「並」でいい。規格外れになる必要はない。安全運航。そんな風潮が蔓延している感じはします。
曄道 規格外れになることがリスキーだと思ってしまうのですね。
植木
リスキーほどおもしろい。俺だけ何でこんなに違うんだろうと、ずっとこの10年思ってきました。みんなと合わない、答えは合ったとしても、そこに至るまでの道、考え方が全然違う。何が大切なのと言っても、合わないですね。だから、そこで僕が気づいたのは、俺、普通じゃないんだ、少なくとも、メジャーではない、マイノリティなんだ。
でも、このマイノリティの喜びをずっと感じて生きているんですよね。僕がなぜ、こうやってこれたかという、何かヒントめいたものといえば、一つはさっきも言った、おふくろが超変態であったこと。俺をそういうふうに理解して育ててくれましたね。
もう一つは、自分自身が自分の興味のあること、ほかのことなんかどうでもいい、誰に、何か言われても気にならなくて、ここにだけずばっと行けるタイプだということ。それをおふくろが許してくれました。世間の常識、法律なんか、少々曲げても構わない。
例えば、実は、高校時代に初めてたばこを講堂の裏で吸ったときに先生に見つかった。おふくろが先生に呼ばれて、申しわけありませんと謝って、やっとこさ帰る。こっちも気恥ずかしいから、自分の部屋に逃げ込むと、何と、こんなごっついガラスの灰皿とたばことマッチが置かれていた。そして一言だけ、「火の用心」。吸うなら家で吸ってくれ。外では法律上未成年者の喫煙は禁じられているんだから、家で好きなだけ吸いなさいと。そこまで言われたら吸えへんやん。そういうおふくろでしたよ。
僕のやりたいということは、何でも許してくれた。必ず協力してくれる。だから、不思議と、こんな性格で、曲がらずに済んできたんですね。
私の学校時代の担任の先生は、みんな、同窓会をやると僕の名前を出すわけです。一番悪かったから。いや、このクラスで覚えているのは植木君だね、よくぞ監獄にも入らずに一人前の人間になって、社会人になって、しかも、JALに入ってパイロットになったって、みんな言いますよ。一つ間違っていれば、俺は間違いなく、ヤクザか何かの世界に行っていたんだけど、そこをおふくろが、やりたいことをやらせてくれた。むしろ、自分で自制心を抱いて、いつの間にか養ってきたんですよね。
― なるほど。その中で自分を制御、自律してきたということですね。自律の中で会長はどうやって日々、学んでいらっしゃるんですか。
植木 だって、知りたいこといっぱいあるじゃないですか。今も。僕は会社、すっぱり足洗いたいと思っていて、やめたら学校へもう一回、通いたい。
曄道 上智でお待ちしています。
植木 記憶がこうあるけど、うまくつながってないやんという、例えば日本の歴史とかを、もう一回学びたい。楽しいよね。
― 日々の学びって、例えば、本を毎月何冊読むとか。
植木 僕、基本、本は読まない。本を読む時間があったら、そこに行って人と会う、景色を見る、自分の体の中にたたき込みたいんですよ。だから、100万枚のナイアガラの滝の写真を見るんだったら、10秒でいいから、ナイアガラの滝の横に行って、それを感じていたい。それが何かを生むと僕は信じているから。もちろん、本を読むことを否定するわけじゃない。いろんな新しい発想があると思いますけど。何かを本から学んで、自分が変わったというのは、ほぼないかな。
― 最後に、日本はどう変わっていくとかれると思われますか。
植木
最初に話した通り、航空業界では四つの大きな変革がある。それを逃せないというのはあるけど、日本は島国ですし、JRさんで行くところはJRのほうが今でも既に強い。やっぱり、人と人が直接会って顔を見て話すって、すごい大切ですよね。テレビ電話でもビデオでも通じないものが、通じ合える。
おもしろいのは、投資家回りするでしょ。1時間もらって、二人でワンワンやるわけですよ。テレビ会議や電話だけでやっても、最後、けんかのようにして終わるんですよ。お互い理解し合えない。それで、こいつ気分悪いやつやったなと思ってしまう。ところが半年後に行って顔見ながら話すと、ええやつやなと思い直す。向こうもそうですよね、ああ、この社長やったら大丈夫だと。
だから、やっぱり、人と人が出会うってすごい大切だし、だから、いつまでたっても飛行機というか、この輸送手段はなくならないと思っています。ただ、僕の望みとしては、安全、定時、快適、経済性と、四つの柱があって、その中でも、当然、安全が一番、その次に定時性、快適性、できたら経済性とか効率。僕はこれを環境という名前に変えて、2番目に持ってきたいんですよ。
― 経済を環境に。
植木
そう。つまり、環境を保全するためには、いかに燃料を使わないかですから、最終的に、究極的には、電気飛行機を飛ばす。これがうちの売りになればいいと思っている。どこよりも安全、どこよりもCO2の排出が少ない、環境に配慮した航空会社、それがJALですよ。
僕は1つだけ、孫にいい地球を残してやりたいから。孫は今五つです。娘の時代には間に合わへん。汚れてしまったのがなかなかとれません。でも孫がおばあちゃんになったときに、「おじいちゃんのおかげで青い空と青い海があるね」と言ってほしいんですね。
【ひとこと】 夢の翼で大空を飛んできた百戦錬磨の「バッタモン社長」(ご本人談)が、幼い孫がおばあちゃんになる未来を夢見る。飛び恥から始まった対話が、どんどん高みに昇っていった。長い旅をしたような昂まりが胸に残されている。同時に、こういう大人を私たち大学人は育てていきたいのだと改めて責任を感じている。自分の道を自分で切り拓く人を。(曄)