リスペクトされる日本は、過去形ではない。「SDGs」「ESG経営」よりも、日本の考え方ははるかに進んでいると、永野会長は語る。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
― 文理融合が重要、という発言はありがたいです。
永野 文系でも数学はやらなければいけない。ロボット学者が人の幸せを理解できないで、『鉄腕アトム』だけつくられると困るんですよね。でも、鉄腕アトムは人を幸せにするためにあるんですよね。だから、手塚治虫は大したもんなんですよ。
― 手塚治虫の漫画、読まれたのですか。
永野 読みましたよ、ガキのころは。ちばてつやの『あしたのジョー』もずいぶん読みました。
― どんな子どもだったのですか。
永野
私は普通で、真面目な……。それは嘘。僕は高知出身です。当時の自分の友達には、悪いやつも大勢いました。
親父が2歳で死にました。母親に育てられたのですが、おかげさまでそんなにひもじい思いをすることもほとんどありませんでした。中学校は高知学芸、比較的新しい私立の進学校でした。中学校進学と同時に、学校の寮に入りました。小学校を出たばかりですから、親がいきなりいなくなって、悲しくて、さびしくて、毎日泣いていました。寮母さんに涙をぬぐってもらっていたかもしれないな。高校生も一緒の寮でした。今から考えればいい経験だったのですが。
中学校を卒業後、慶應義塾高等学校(日吉)に行きました。当時は下から来ている子たちがたくさんいたんですね。みんな物すごく都会の子なんですよ。この人たちと混じり合ってたら、不良になると思って、私はすぐに水泳部に入りました。高校、大学7年間、体育会でずっと過ごしました。7年間。それはよかったですね、結果的には。
体育会は理不尽な社会なわけですよね。先輩の言うことは何でも聞かなきゃならないとか。理屈じゃないんですよね。そういうことを理解することは社会で生きていく中で大事なことで、だからよかったかも分からないですね。それは非常に、自分にとっては。
― 理不尽な世界で生きたことが、ご自分にとってはよかったと。曄道学長が「居心地の悪いところへ行きなさい」に通じます。常に挑戦者の精神なのですね。
永野
いや大した挑戦じゃないです。自分にとっていい環境は何かと言うと、田舎で育ったこと。田舎のよさを経験できたこと。それから、途中で東京に出てきて、田舎と東京のギャップを経験できたこと。
それから、私にとって大きな挑戦でもあるし、結果的によかったのは、オーシャンスイミングを高校からやっていたことです。今でこそオリンピック競技になっていますが、当時はなかった。全日本選手権、6大学対抗など、ほかの運動部の人たちが目指すような、わかりやすい目標がなかった。
そのかわり、自分たちで目標を見つけなきゃいけなかったのです。僕らは何でこんなに毎日毎日、来る日も来る日も海で遠くまで泳ぐのだろうと。1日10キロぐらい泳ぐんですよ。千葉・館山の慶應義塾合宿場などで、年間を通じて時には1か月以上の長い合宿をします。来る日も来る日も泳ぐんです。何でこんなに泳ぐんだ、と目的を考えるんですよ、何のためにやっているんだろう。「我が水泳部はそもそも何のために存在しているんだ」ということを、いやがおうでも考えさせられました。
― なるほど、「何のために働くのか」はそこからきていたのですね。
永野
そう、そのことが社会に入って、つまらない目先の営業目標とか予算を達成するんじゃなくて、何のために俺たちは仕事をしているのか、と考えることにつながりました。学生時代に考える癖がついていたんですね。それがとてもよかったと思います。
6大学選手権で優勝しました。全日本で入賞しました。で、目標を達成すると、そこでもう何とか症候群になって燃え尽きちゃう。本当の目的はその先にあるはずなんだけれども、その目標が目的化してしまって。学生さんで、オリンピックに出て終わったら、そこでもう燃焼しちゃうということがありますよね。でも、それは自分の人生の一つの通過点にしか過ぎないはずなんですよ。優れたスポーツマンは、あまりにも目先の目標が大きいから、考えないで過ごしてきているということがあるんです。でも、私の場合は目立たないスポーツをやっていたので、自分で考えなきゃならなかった。それがすごくよかったです。例えば、クロールで40キロ泳ぐときにひとかき、ひとかきの重さというのは案外分からないんですよ。ひとかき、ひとかきやっているんだけれども、このままやっていてゴールに着くんだろうかと。だけどゴールに着いて砂浜に上がり、両足を砂浜に踏ん張って立ったとき、後ろを振り返って、あのひとかきがなかったらここには来れなかったと思うんですよ。
社会も一緒で、平凡な一日がなければ、それを一生懸命やってなければ、絶対にゴールには到達しないし、組織の目的を実現することもできません。毎日正しいことをやろうと。それがいかに大事か。それが唯一ゴールに近づく早道で、確実な道であるということを、人はなかなか理解できない。私がやっていた水泳は、そういうことが理解できました。社会生活に意外に役に立ちました。
― 曄道先生は高校時代、野球部でしたね。
曄道 私は慶應大学付属志木校で野球部でしたが、大学では、その野球部の監督をやっていました。スポーツをされた方のお話にはいろいろ感銘を受けるお話が多いですけど。今のお話は本当に今までで一番、響きました。
永野 下田から大島まで泳いだことがあります。その時に感じたのは、自然の中の人間なんてほんの豆粒。その豆粒のひとかきなんていうのは、天から見ていたら、ボウフラがもがいているみたいなもんだと。
― もがきながら考えているわけですか。なぜ泳ぐのか、と。
永野
いや、もがきながらは何も考えないですよ、腹減ったなぐらいしか(笑)。だけど後から考えたら、大切なひとかきだったと気がつく。人生、後から気づくんですよね。
先に気づくというのはなかなか難しいと思います。でも、幾つか気づく場面があるんですね。運動をやっているときもそうです。社会に出て何年目かでリーダーになったとき、大きな事業をしたとき、挫折したとき、神様というのは必ず平等にそういう気づきの場を与えてくれているんです。けれども、気づかないで過ぎちゃう人もいるんですよね。そのとき気づく人が求道者になるのかも。でも、気づきの場は平等に与えられているんですよね。
― 気づく人が求道者になる…。気づけるかどうか、それが人の道を決めるのかもしれませんね。ところで、学生にお勧めの本をお示しいただけないですか。
永野
今の学生はまず、新聞を読んだほうがいいんじゃないですか。
今朝も女房とそういう話題をしたばかりです。遠縁の娘が就職活動をしていて、ふだん全然付き合いがないのに、就職のときだけ頼ってくる。その子に、新聞ぐらい読んでいるんだろうなと言ったら、取ってないって。
ネットでニュースを見ていても、考えないですよ。やっぱり紙で文字を読むというのは、科学的に違う作用をもたらすのではないでしょうか。
僕はいまだに、大事な記事は切り抜いておく。朝忙しくても、切り取った記事だけは最低限読もうと思っています。大事だと思うのは、単なる事実、ファクトを伝えている記事ではなくて、書いた人の意見が含まれている記事です。そういうものは必ず目を通すようにします。いまだにそれはすごく勉強になります。
新聞は、考える材料の宝庫だと思うんです。まず新聞を読んでもらいたいですね。
それから、考える材料になるのは、スマイルズの『自助論』。自ら助ける。「天は自ら助くる者を助く」という言葉がありますね。いろいろな人の伝記、いろいろな人がいかに好奇心を持って努力して、世の中の役に立つ存在になったかが書かれています。つまらないと思ったらつまらないかもしれないけど。どんな本でも目的意識をもって読むと、とても面白いですよ。『自助論』は面白いです。
それから、渋沢栄一の『論語と算盤』。今、「旬」の人ですね。日本で本格的な株式会社を起こした最初の人です。経済というものは、企業というものは何のためにあるのかがよく書かれている本だと思います。欧米からSDGsが入ってきています。ESG経営なんていうのも入ってきましたね。すごくいい言葉だと思います。欧米の企業は、お金を儲けることと社会に還元することがパラレルで動いていると、わかります。
一方、日本の企業は、渋沢さんの当時から、社会の課題を解決することを通じて事業というのはあくまで成り立つんだ、成長するんだと。「三方よし」もそうですが、企業は「公器」なんですよね。その意味では、SDGsよりももっと先に進んでいる、日本の考え方は。日本に本来ある素晴らしい考え方を学べる本です。
― 最後の質問です。会長ご自身はこれからどのように歩んでいきたいとお考えですか。
永野 今までの経験を生かし、日本ユースリーダー協会などで若い人たちをエンカレッジする仕事をボランティアでやっています。若い人たちにいろいろな気づきを与えるような、そういう仕事をしたいですね。
曄道 ぜひ上智にもお越しください。
永野 もちろん上智も含めて、物心両面で貢献していきたいなと思います。
― 次の求道者をご紹介ください。
永野 資生堂の魚谷社長を推薦します。魚谷さんは異色です。コカ・コーラの社長もやっていたし、マーケティングのコンサルティングもやっているプロの経営者です。世の中でプロの経営者というとややもすると目先の利益のみを追求するイメージがあるので、僕はあまり好きになれません。しかし、彼は違います。常に現場第一線やそれを支えている“人”を起点に考え大切にしています。そして結果に繋げる。それが僕はなかなかいいなと思っています。ご本人はそんなかっこ良いもんじゃないよと仰るかもしれませんが(笑)。
【おわりに】 ゴールの見えない波の間で、ひとかきひとかき腕を動かす。前に進んでいるのかすら、定かではない。それでも何かきらりと輝くものが、自分の中に静かに蓄えられる…。
現役の企業人を対象にした講座「プロフェッショナル・スタディーズ」を本学に開講する。どんなに小さくても、必ずや世界の新しい未来を築くひとかきになると確信している。(曄)