失敗を恐れていては挑戦できない。そんなことは、誰もが知っている。だが結果を考えて、ついすくんでしまう。壁が大きければ大きいほど、すくみも強くなる。コロナ禍で、世界中がかつて経験したことのないような急激な変化を始め、社会の先行きは見通せない。「トライ・アンド・エラー・アンド・トライ」を大切にする資生堂魚谷雅彦社長。今の過酷な状況下で変わらずそれを社員に言い続けられるのだろうか。「挑戦をやめるな」と訴えていけるのだろうか。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
うおたに・まさひこ
株式会社資生堂 代表取締役 社長 兼 CEO
1954年生まれ。
同志社大学文学部卒業。
ライオン歯磨株式会社(現ライオン)入社。
米国コロンビア大学経営大学院卒業(MBA)。
シティバンクN.A.マネジャー、日本コカ・コーラ社長、会長などを歴任。
2014年から現職。
曄道 コロナ禍で緊張感が高まっている時期にお時間をくださってありがとうございます。御社のルールでインタビューをさせていただきます。
魚谷 こちらこそ、よろしくお願いします。
― 今日も「魚谷さんの階段ツアー」をされたのでしょうか。22階の社長室から階段で社員のフロアに下りていくそうですね。
魚谷 よくご存じですね。
― (資生堂本社のある)汐留界隈で知らない人はいないとも聞きました。
魚谷 今日は階段ツアーをしていません。今、あまり社員が来てないので。
― ツアーについては、後ほど詳しく伺います。皆さん、在宅ワークが中心のようですね。今、魚谷さんはじめ、御社の方々はどのような働き方をされているのでしょうか。
魚谷
今、僕は週に数日は在宅勤務です。社員もオフィスには来てないですよ。在宅勤務は6月1日に一部解除して、出社と在宅の比率は50・50にしました。ところが今、社員の出社は50%以下ですね。結構、家でできると思っている人が多いようです。
東京には第2波の話も出ていますので、無理に社に来いということもできません。業務に支障がなければ、これでいいかと思っています。だから今、ほとんど人がいないんです。
― なるほど、それで社内がひっそりとしていたのですね。せっかくこんなにきれいなビルが完成したのに、もったいないような気がします。
魚谷 これが永久に続くわけではないと思っていますが、何しろ先が見えませんね。
曄道 同感です。本学は7月に入ってから大学院生を中心にキャンパスに入れるようにしましたが、学部生まで自由に入構できるようにはしていません。当面難しいと見ています。留学したまま日本に戻れない学生も結構います。
魚谷 そうですか、留学したままですか。
曄道 ええ。対面の授業に戻すといっても、今度は海外から入国できない学生の問題が浮上します。ビザもなかなか取れません。外国人留学生を対象にした学生寮も、感染の危険がありますから、今までのような状態で受け入れるわけにはいきません。まず安全を確保しないといけません。こういう事態を迎えてみると、かなり広範囲に気を遣わないと、大学はなかなか……。
魚谷 そうですよね。
曄道 上智大学は全学部が四谷に集中しています。今までそれが「売り」の一つとされてきました。こうなってみると、分散させて学生の数をコントロールすることもできないのです。学生には気の毒な思いをさせています。
― 早速ですが、このコロナ禍で世界はどう変わるとお考えですか。魚谷さんの世界観をお聞かせください。
魚谷
世界がどう変わるか、ですか。ビッグテーマですね。世界観、僕らは消費者、生活者、ビジネスのお客様としての見方を重んじることが多いです。
それは後にするとして、一歩ひいて大きな視野で考えると、経済の発展の中でグローバル化がこれだけ進んできました。その結果の今です。最初、中国・武漢でコロナウイルスが確認され、あっという間に世界に広がっていきました。
それに対して、国際的な取り組みも行われています。議論はありますが、WHO(世界保健機関)を中心に行われています。いろんな国・地域で起こる問題がそこでとどまらない。問題がグローバルに起こってくるため、解決、ソリューションもやっぱりグローバル視点で考えないといけないということを痛切に感じるところですね。
もう一つは、人間にとって、健康であること、あるいは免疫力を高めておく、体質を強くしておくこと、そのために食事はどうあるべきかということに、大変注目が集まっているようです。そうした傾向は、産業にも大きな影響を及ぼします。僕はコカ・コーラで仕事していたので、よく覚えています。コカ・コーラなんていう砂糖の入ったドリンクは、肥満のもとになると厳しい非難を受けて、カリフォルニアの中学や高校から自動販売機が撤去される事態も起きました。
コロナウイルス感染防止の観点から衛生面での警戒が生まれ、一方でウェルネスという言葉が日常的に使われ、サプリメントを飲む人も増えています。やっぱりジョギングしなきゃと自粛期間中から新たに走る人が増えた。肌の健康は化粧の基本になっていますから、スキンケアが売れているんです。
― 化粧品の売り上げが下がっていると報道されていますが、スキンケアは違うのですか。
魚谷
マスクするから当たり前といえば当たり前なんですけど、口紅の売り上げは落ちています。でも、やっぱり人の心理って面白い。マスクで口が覆われて目元しか見えないから、目元の化粧をどうしたらいいかというお問い合わせがとても多い。スキンケアについては、世界的に見て、関心が非常に高まっているんです。健康に、衛生的に、肌を保つ。単に肌を美しく保つ、ということではなく、心身の健康という観点からの意味合いが強い。どちらかというと東洋思想ではあるのですが、こういうのがすごく顕著に現れています。
自分の生活、食生活が、常に心身の健康とか免疫力を高めて体質を強くするとかいったことが周知されれば、我々のやっていることの関連性も認識してもらえます。やっぱり関心が高くなるというのは大きいですよね。
― 働き方、生活スタイルも当然変わってくるわけですね。
魚谷
働き方は当社に限らず、変わっていきますね。先ほど申し上げたことにもつながりますが。世界から見ると、もともと日本はテレワークがかなり遅れていた。その根底にあるのは、テレワークだとディシプリン(規律)に欠けるんじゃないかと懸念するわけですね。もっと深いところにあるのは、僕は戦後の日本の人事慣行制度、それこそ新卒一括採用、年功序列、終身雇用、組合という四つのポイントがまるで「三種の神器」のように企業社会に染みついていた。それはもう、行き詰まってきていたのですがね。それがこのコロナ禍のことで行き詰まっていることを露呈してしまった。これらがあると、例えば女性の活躍する比率はなかなか上がってこないですよね。今までは、年功序列だから、俺の後にかわいがった部下の男性を据えようという、そんなメンバーシップ社会が日本の社会を席巻していました。
今回みたいな事態になると、昼に仕事して、アフター5は職場の仲間で繰り出して盛り上がらなくたっていいじゃないと気づくわけです。仕事して、ちゃんと成果を出せればいいわけでしょう。それは女性であっても男性であっても、自宅にいようがどこにいようが、やれることをやればいい。会社にいる時間は関係ないとわかった。やたらと会社にいる時間にこだわるところ、日本の企業社会にやっぱりありましたから。
そこで2021年1月から国内の一部の一般社員を対象に「ジョブグレード制」*に変える予定です
*ジョブグレード制
職務の責任範囲の大きさや難易度の評価により決めた等級に応じて処遇が設計される制度。働いた時間ではなく、グレード毎に求められる成果と取り組み、発揮行動(コンピテンシー)を明確に提示し評価につなげる。資生堂は「PEOPLE FIRST」(人が価値創造の源泉)という考えのもと、人材育成強化と「多様」で「柔軟」な働き方の促進に取り組み、すでに管理職ではジョブグレード制とそれに基づく報酬体系を導入、2021年1月より国内一般社員についても導入予定。(一般社員の対象人数は、2020年8月現在で国内社員の一部約3,800人の予定)
― どんな仕事ができるのかという「ジョブ型」で評価が決まるのですね。
魚谷 そう考えると、じゃあなたは何ができるんですかと問わなくてはいけない。ここにこんなポジションがあります。それは男性であろうが女性であろうが、年齢が高かろうが若かろうが、日本人であろうがなかろうが、こちらの求めることを最適の能力、経験、スキル、やる気を持っている人にやってもらえばいい。実は今までより一層働きやすい環境になると思います。
― コロナによる売り上げ減少などで多くの企業が人事を止めたり、社内改革をストップさせたりという動きが出てきます。御社の場合には、そういうのは関係ないという感じですか。
魚谷 経営の状況や環境で人の採用は、ある程度調整することはあるでしょう。我々もコスト管理意識が強くなっていますから。けれども、今おっしゃった社内、会社をよくしていくためのいろんな改革と言われること、これは逆にやらなきゃならないですね。むしろ、スピードを速める。
― 大改革を手掛けて、たしか5、6年ぐらいになりますね。
魚谷 そうです。6年です。
曄道
今、社長がおっしゃったようなジョブ型への改革が日本で広がっていくでしょう。それが世界標準になっていくと、我々のように学生を送り出す立場も、変わっていかなければいけない。
時間割がこうなっていて、カリキュラムの体系がこうだから、生徒や学生はこう学んでという ― それをまるきり否定するわけではないけれども ― 従来型の管理型の教育のシステムの中にどっぷりと小学校から大学までつかっていると、社会に出てからのギャップがより一層広がってしまいかねない。人材育成という観点から、ただでさえ大学に対する風当たりはものすごく強いわけです。働きかたや採用の変化を見て、我々も変化していかないといけない。
ジョブ型への改革を伺ったとき、私は大学にとっては危機感のようなものを感じました。
やっぱり今回のコロナの一番の特徴は、世界で同時に同じ事が起きたことだと思うんです。こういう経験はめったにない。これまでにも大きな変化はありました。例えば震災とか。しかし、それは地域的なものであったのに対して、コロナは世界的に同時に、しかもあっという間に起きた。もちろん災厄です。けれども災厄と捉えるだけではなく、社長がおっしゃったような、ある意味ビジネスチャンス的なものも生まれてくる。それは、つまるところ、我々の教育のありようが世界にさらされるという、その大きなきっかけになると思っています。
魚谷 なるほど。
曄道 今までは我々上智は国際性を前面に出して教育にあたってきました。先ほどおっしゃられたように、望む、望まないに関わらず、世界と向き合わなくてはいけない。そうなると、世界標準とか世界基準といったものの質が従来とは変わってしまうのではないかといった、漠然とした危機感を持っています。その辺はいかがお考えでしょうか。
魚谷
企業も同じなんですよね。何をグローバルスタンダードと呼ぶかと、講演会なんか行くとよく質問を受けるんです。資生堂はグローバルな企業になります。それって何ですか、そのグローバルという意味はと。企業でいえば、グローバルな企業と競合していけるような財務力といった点に注目されるでしょうが、僕がいつも言うのは、多様性をどう活用できるかということです。
たぶん大学も同じでいらっしゃると思いますが、いま、学長がおっしゃったように世界同時にいろんなことが起こるということは、そういう現状を認識し、ソリューションを出していくというのは、理解力と分析力が今よりも必要です。遠い国の世界の話で言語も違う、文化も違う、何のことだか全然分かりません、うちの島国ではないことですから、などと言っていられない時代だということです。
先日、「戦国時代」というNHKスペシャルを見ましてね。
曄道 はい、ありました。日本の戦国時代の新しい姿を描いた番組でしたね。
魚谷
織田信長を、スペインやポルトガルの宣教師が訪ねてきた。宣教師が実は結構政治的な活動をしていたらしいことは聞いたことありましたけど、あそこまで露骨な話をしていたのか、と初めて知ったんです。豊臣秀吉に対しては、朝鮮出兵の先に中国制覇も視野に入れていたと。そんな壮大なことまで考えていたのかと驚きました。
世界はこんな時代からつながっていたというのも驚きでした。けれども、その後に鎖国をして日本は独自に繁栄し、発展して、その文化や考え方の基本ができたと思います。一方で、グローバルスタンダードといいますか、多様、いろんなものがあって、その中から一つの標準みたいなものをつくっていくというのが苦手な国民になっているところも事実ですね。
持論ですが、さっき申し上げた日本的労働慣行、一括採用や年功序列、終身雇用といったものが普通だったのは戦後の発展期だけだと思うんです。明治とか大正の頃、あるいは昭和の初期の話を聞くと、日本は今の欧米型のような状態だった。例えば実業家の小林一三、三井銀行で働いていた人が阪急阪神に転身するわけですよね。で、電車つくって、宝塚歌劇団をつくり、商工大臣になると。だからキャリアも多様だし、あまり何かにこだわりはなかったようです。当時は猛烈な競争社会で、年齢も関係ないし、年功序列もない。極端な話をすると欧米的というか、君はもうクビだから、あしたから来なくていいみたいなことがあったり。実力主義だったわけですね。それが戦後、今のような姿に変わったわけです。
だから、やっぱり戦後の労働慣行の中で、「出る杭は打たれる」じゃないですけど、目立ち過ぎたりすると、序列から外されてしまうというつくりができてしまった。子どもを育てる際にも、「そんなことしたら笑われるから」とかという文化があるじゃないですか。「人と違うことしちゃ駄目だよ」という。ここを、大学教育で打破していただかないと。会社に入ってきてから急に、「ジョブグレード制になったから、多様でいいんだから」「若くても、新卒の人でもどんどんいろんなポジションついたらいい」と言われても、困るでしょうからね。
【ひとこと】 ジョブ型への移行は、コロナ禍の前から計画していたという。急激な社会の変化で多くの企業が事業を止め、人事を見送る中で。周囲の変化に合わせるのではなく、自分たちはこうありたい、世界とこう向き合っていきたいという思いを感じる。美意識と言ってもいいだろう。(奈)