デパートに並ぶ高級チョコレートというイメージを自ら破り、ゴディバは商品をコンビニやスーパーに置いた。そして従来のイメージを崩すこともなく、ファン層を着実に広げた。根底にどのようなビジネス理論があったのか。シュシャン社長に問うと、意外な答えが返ってきた。「論理ではない」と。その真意を改めて問う。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
― 社内のミーティングでは保守的な意見が出るが、いざ商品をコンビニの棚に出すとお客さまが買っていく。論理ばかりでビジネスはできない、ということですか。
シュシャン
そうです。コンビニで買ったお客様がご自宅で召し上がり、ソーシャルメディアで紹介してくださるのです。中には有名なユーチューバーもいました。「今、ゴディバをコンビニで買ったよ」って。美味しい、って。
おお、すごい! ユーチューブに出てますよ。社内のみんなは驚きました。美味しいというお客様の声は、ゴディバの知名度アップにもつながりましたね。
― しかも、ただで宣伝してくれているわけですから。
シュシャン
そうそう。だから、論理的じゃないね、ビジネスは。でも、会議になると論理だけの話になってしまう。ある意味、平面的ですね。一方、お店に行って購入するという行動は、3Dなのですよ。目、耳、鼻、皮膚感覚、体全体を使って感じとるわけですから。会議での論理と感覚は食い違っているのです。
弓道でも同じことがいえます。弓がないところ、頭の中ではすごく立派な射を考えます。ところが一歩、射場に入るとどうなるか。頭で考えたようには全くできないことがよくあるのです。ミーティングルームの論理と、商品が並んだお店の現実は全然、違うよということです。
曄道 わかります。大学の教育の場についても、是非ご意見をいただきたいと思います。大学の授業というのは主に論理を伝えていくからです。
シュシャン そうですね。学生は論理を学びます。
曄道
私の感覚ですが、日本の大学はとりわけその論理的な思考というものを大事にしているように感じます。どの学科のカリキュラムも、その専門性に対する論理的思考を組み立てていくように設計されています。
とはいえ、多くの学生は産業界に入っていきますから、論理だけでは割り切れないビジネスの現場に立たされるわけです。社長がおっしゃったように、消費者の購買行動などを重視するビジネスの現場です。近年、産業界から日本の大学に対して、人材育成について厳しい言葉をいただいています。その理由がまさにご指摘の点にあるんだということを、再確認できました。
今、上智大学では、学生たちが現場で経験をしたり、実際に行動を起こして何かをやってみたりというプログラムをつくるよう努力しています。論理も大事だけれど、経験値をまず上げていこうと。
シュシャン それはすばらしい。自分でアクションを起こす。そうしたら必ず、応えてくれる人が出て来ますから。
曄道 そこで新しい出会いが始まるわけですね。今おっしゃっていたチョコレートの購買行動というのが、私にはとても腑に落ちました。甘党だから、ということもあるのかもしれませんが(笑)。反面、ミーティングルームでは論理が、しかも数字とセットで展開されることになります。そうなると、話しがその流れからなかなか出られません。
シュシャン 数字はわかりやすいですから。
曄道 実際に買う人たちは、ゴディバの売り上げやビジネスの論理については考えていません。今どんな気分なのか、欲しいか欲しくないか、すぐに買えるか買えないか、そういうことで決めるわけですね。
シュシャン そうです。ビジネスの世界では、お客様を「ターゲット(的)」と呼びます。弓道と同じ。私の引いた弓が正しいかどうか教えてくれるのは、的、つまりお客様です。上達しようと思ったら、どこが改善ポイントなのかを謙虚に学ぶ必要があります。
曄道
本当にいいですね。その考え方は、教育にもすごく生きると思います。
もう一つお尋ねします。社内の皆さんの反応はどうだったのでしょうか。論理ではないことを社長がおっしゃっているのですから、反発もあったのではないでしょうか。学長としても、うかがいたいところです。
シュシャン
最初にコンビニに並べた商品は、アイスクリームでした。その時に社員は論理で反論してきました。ゴディバがコンビニに並ぶなんて、あり得ないと。そういう壁があったんです。それは結局、社員が自分で決めたゴディバ像です。
私は、アイスクリームがどこで買われているのか、実際にマーケットを見て回りました。その上でみんなに尋ねました。あなたたちは、どこでアイスクリームを買いますかと。そうしたら、90%以上の人たちはコンビニかスーパーマーケットで買っていたのです。だとすると、我々のアイスクリームをデパートと専門店だけで並べていたら、お客様は買えないではないですか。
論理に対して、そういう論理で説明したのですが、面白いのは、認めたくない人にいくら丁寧に説明しても納得してくれないのですね。
― その認めたくない人には、どう対応するのでしょうか。
シュシャン
自分で納得しないと動けない人もいるのは仕方がありません。私は社長ですから、最終的には自分で決めて、これで行きますと伝えます。そうなるとみんなは、じゃ、分かりましたと受けるわけです。最後はトップダウンも必要ですね。
そして、決めたら実行します。最初はテストケースとして、3か月か4か月コンビニと我々の専門店に並べました。その結果わかったのは、お客様はコンビニでアイスクリームを見て「ゴディバはアイスクリームやってるのか、知らなかったよ」と思ってくれるのですね。「ならば、今度はあなたの店から買いたいよ」と専門店に足を運んでくださる。相乗効果が出たんですよ。
お客様はシンプルに反応してくださる。でも、経営者やマネージャーはみんな考え過ぎて駄目ですね。弓道もそうでしょ。考えると全然、体が動かないです。
― 確かに、おっしゃる通りです。ところで、弓道の話が先ほどからよく出てきますが、このコロナ禍でも稽古の時間を確保できていたのですか。生活が激変していらっしゃるのではないかと思っていました。
シュシャン
コロナを予防するために、今はみんなマスクをつけて道場に集まります。小さい道場は無理のようですが、明治神宮にある大きな道場では、できるんですよ。
私自身の生活をふりかえると、確かにリモートワークは少し増えました。これが変わった点かな。いや、そんなに変わってない気もする。
― コロナで気になっていたのは、ゴディバの社会貢献活動です。チョコレートの原材料、カカオは発展途上国の農園で収穫されますね。そうした発展途上国で児童労働の撲滅や女性支援のプランを実行されてきたようですが、コロナ禍でも続けていらっしゃるのでしょうか。
シュシャン
はい、コロナだから変わったということはありません。コロナだからこそ始めた社会貢献もあります。「ピンクバンプロジェクト」は、2020年4月に始めました。ピンク色に塗装したバンで、ゴディバのスイーツをプレゼントするのです。
もともとは、第二次世界大戦が終わってまもない1946年、ゴディバ創業家のショコラティエ、ピエール・ドラップスが行ったことです。ピンク色のバンでブリュッセルの町を回り、戦争で悲しい思いを抱えた町の人々に少しずつチョコレートを配ったのです。今回はコロナで、みんなつらい思いをしています。だからこそ、日本でピンクバンを復活したのです。病院や保育園、配送業の方々に我々のチョコレート、クッキーを送りました。
曄道 そうですか。日本で。みんなどれほど慰められたことか。
シュシャン 我々のホームページに申し込んでいただくことにしました。でも例えば病院はとても忙しいので、どこからも要望が出てこないのではないかとみんな思っていて、ふたをあけたら、たくさんの病院から希望が来ました。それで我々はチョコレートやクッキーを贈りました。看護婦さんやドクターから、多くの手紙をいただいています。
― 一方通行ではなく、交流ができたのですね。
シュシャン 医療現場の人は、みんな大変。気分転換が必要です。そこでチョコレート。とてもおいしかった。リフレッシュになった。ありがとうございますと書かれた手紙がたくさん届きました。
― 第二次大戦後にブリュッセルを走ったピンクバンが、コロナ禍の日本を走る。運ぶのは昔から変わらないゴディバのチョコレート。時代は変わっても、大事なことは変えない、ということですね。
シュシャン そうなのです。レシピやカカオのクオリティも変わらない。それでみんなにハピネスを提供する。これからもずっと変わらない。けれど、そのやり方、ハウ・トゥ・ドゥは、時代に合わせて、マーケットに合わせて変えていきます。柔軟性が大事です。
― 柔軟性は確かに重要です。けれども、一回あるやり方で成功してしまうと、それを変えにくいですね。成功体験の罠とでもいいますか。
シュシャン そうなのです。ここでこういう感じでやるとうまくいくというのが分かっちゃうと、なかなか違うやり方ができないですよね。「コンフォートゾーン」から自分を追い出すのはなかなか難しいのです。以前、女性に人気の「ショコリキサー」(チョコレートドリンク)が予想を下回る売り上げだったことがありました。分析してわかったのは、リニューアルの必要性でした。そこで発想をガラッと変えた商品にしたら、売り上げが好転したということもあります。
― コンフォートゾーンから自分たちを追い出したわけですね。ビジネスにおいて、結果は重要ですからね。でも一方で「正射必中」という考え方も大事にしていらっしゃる。プロセスがどうでも、結果さえ良ければいいという考え方もありますが。
シュシャン
弓道の教えが私の中にあるからだと思います。
弓道の稽古の時、先生は弓を構えている私の姿勢だけ見ます。的に当たったかどうかについては、何にも言ってこないのです。稽古では毎回、的に当たるかどうかよりも大事なのは、プロセス、型の方だというメッセージだと気づいたのです。その教えは正しかった。結果ばかり気にしていると、結局は失敗します。逆に、正射でいれば、的に当たります。
もう一つは、生き方としてもプロセス重視の方がいいですね。どうしてかというと、的に気を取られる、結果に心を取られると、大きなストレスになるんですよ。当たるだろうか、この数字を達成できるのか、そんなことばかりを考えると気持ちが暗くなるんです。
そんなことよりも、もういいや、ベストを尽くすだけだと思えば、気持ちはずっと軽くなる。矢はどこへ行ってもいいよと開き直り、正しい姿勢でいることだけに集中する。数字? そんなものはもういいよ。いい商売、いい販売、それだけを考えようよと。そうなると、不思議に数字が出てくる。あっ、当たった、よかったなって。生き方としてすごくいいと思います。
曄道 なるほど。成功体験は重いし、目の前の数字は気になる。そこから抜け出て達観するとは、確かに気持ちが軽くなりそうです。
シュシャン
毎日そういうことをやるのは大変ですが、そういう姿を理想として持っているのはいいと思うんです。
矢を放つ前には、必ず当てたいという邪念が一瞬、浮かびます。ところが練習を重ねると、当てたいという気持ちが変化していくのです。例えば、当てたい気持ちを100とすると、練習するうちに50、40に減る。まだ残っていても、プロセスの重要性に集中していくうちに、もっと上手になるし、もっと楽しくなる。仕事もそうなのですよ。
インドで結婚式を挙げていたので少し馴染みがあり、インドの古典「バガヴァッド・ギーター」をよく読みます。インドのホーリーブックとでもいいますかね。そこには、武士のアルジュナと神様のクリシュナとの対話がつづられています。その中でクリシュナがアルジュナにこう教えます。「あなたの責任は行動だけ、結果は私、神様です。あなた、行動だけ。あなたは武士だから戦いなさい。負けるとか勝つとか、誰に殺されるか、関係ない。それは私、神様がやるから」。有名な言葉です。
あなたの立場、責任、ユア・デューティは、アクションです。でも、アクションの結果にはこだわらないこと。結果は、神様の領域だから。プロセスのありようも、そこにつながるのではないかと思います。
曄道
深い教えですね。今の学生には、なかなか受け入れがたいかもしれません。日本に限らず、世界中かもしれませんが、大学生は「学んだらどうなるんですか」という結果に気が行ってしまうようです。どういう結果が自分に返ってくるのかということです。何を学ぶのか、何を経験するかといったプロセスよりも、これをやったら何を得られるのかに頭がいっています。日本の教育全体も、どこの大学に入れるんだろう、どこの会社に就職できるんだろうと、結果主義の傾向が強いのです。今のようなお話を聞くと、実は日本に、弓道という道の中に、そういうものに対するヒントがあるんですね。
私たちはもっと日本の文化に学ぶ必要があるのだと思い知らされました。社長が弓道を通して気づき、こういうふうにご自身の口で説明されていることを、日本人である自分がなかなか理解できてない。いずれにせよ、教育こそ、結果主義でやってはいけないとよくわかりました。
【ひとこと】 先日、高校生を対象にオープンキャンパスを開いた。そこで出た質問の一つが心に残っている。「大学に来る意味はありますか」。コロナ禍もあり、オンライン上での教育プログラムが急速に拡大した。手軽で安価に海外の大学のプログラムまでも受けられるとなれば、わざわざ日本の大学に来る必要があるのか、という問いだ。それに対し、学生同士、そして教員も交えた人間同士のリアルな対話が尊いと答えたものの…。教育は結果主義ではいけない。だが、私たち大学人は本当にプロセスを大事にしているだろうか。(曄)