コロナ禍で人通りの絶えたマチから、ローソンの新たな挑戦が始まった。これまで扱ってこなかった生鮮食品を店頭に並べて買い物客の利便性向上を図る一方、感染対策の徹底で働きやすい店にする。各店舗の加盟店オーナーのみなさんとのコミュニケーションを密に取れるようになったのは、コロナ対応で導入せざるを得なかったオンライン会議のおかげだ。「向かい風は、向きを変えると追い風になる」と竹増貞信社長は笑顔を見せる。ローソンの謳い文句は「マチのほっとステーション」。その灯りがどう広がっていくのだろうか。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
たけます・さだのぶ
1969年大阪府池田市生まれ。
大阪大学経済学部卒。
三菱商事畜産部、社長業務秘書、ローソン副社長などを経て、
2017年から現職。
― よろしくお願いします。まず「求道者」の趣旨について、ご説明します。
曄道初めまして。今日はどうぞよろしくお願いします。
自分の道は自ら探し求めて、開いていくものです。道を探すには、学び、考え続けなくてはいけません。ところが、学生たちには、決められた線路に乗っていけばいいという理解が拭いきれていないようです。生涯学び続けることが不可欠なのだと伝えるために、こうして求道者をお訪ねしている次第です。
竹増 今の学生さんでも、そういう感じなのですか。
曄道全てがというより、ばらつきがあります。世界に対する関心が高く、自分の力で道を開かなければいけない、と見受けられる学生は大きく増加しました。ただ残念ながら、そういう学生ばかりではないのです。
竹増 なるほど。わかります。
曄道何かを問いかければ、答えることはできるけれど、自ら質問はできない。かつては、海外からの要人を呼んでシンポジウムをしても、質疑応答の時間になっても手を挙げることはありませんでした。最近ようやく、平気で質問ができる学生が相当増えているのです― ただ、その質問にも教えてもらおうという姿勢がやはり見え隠れする、という問題点はあります。基本的に「自分たちは知らないから学ぶ、教えてもらう」という前提に立っているわけです。
竹増 なるほど、それまでの延長線上にあるということですね。
曄道学校制度の悪しき慣習とでも言いましょうか。高校を出たら、ここまでは知っているはず、大学を出るときにはこういう状態、レベルになっているといった像が、学生の中に頑固に根付いているのかもしれません。
本来、人間が学んで成長していくには、教育に携わる者が生徒や学生の前に境界を引いてはいけない、境界をなくすことに尽力しなくてはいけないと思っています。境界線までいけばいい、と思わせることは、あらかじめゴールを設定しているようなものですから。入試などの制度がそれを助長しているのか、とも考えていますが。
竹増私の時代より、今の学生さんのほうが勉強意欲も旺盛で大学にもきちんと通い、しっかり勉強しているのだろう、と何となく思っておりました。やっぱり「人生100年時代」を生きなきゃいかんと思っているのだろうな、と。「リカレント教育」という言葉は、我々の学生時代にはなかったものですから。そこで、今時の学生さんは常に学習し続けないと生き抜いていけないし、自らそういう考えを持っているのかなと思っていました。そうではないのですね。
曄道常に学び続けなくてはいけない、という言葉自体は誰かに教えられて、頭の中に入ってはいると思います。
竹増なるほど。それも教えられて、頭に入れているということですね。
曄道頭には入っているようです。ただ、その先が難しい。具体的にどういう行動を起こせばいいかが見つけられないのです。経験が乏しいこともあるでしょう。
竹増ああ、それはあるでしょうね。
曄道一方で、非常にチャレンジングな学生は徐々に増えています。
竹増それは嬉しいですね。
曄道そうした学生が周りを引っ張っていって、空気を変えていってくれると期待しています。
竹増上智大学の学生さんは、みんなが学ぶ意欲が旺盛で非常に活発で、国際色も豊かで、社会問題に積極的に向き合い、ボランティア活動などにも一生懸命取り組んでいる。そんなイメージでした。
曄道そうですね。そういう活動で目立っている学生がいるので、そんなイメージで受け取られるのかもしれません。何となくそういうふうに映っているのでしょうね。
今、竹増社長がおっしゃった「学ぶ意欲が旺盛で」という表現。旺盛かどうかについては異論もあるでしょうが、学生は基本的に真面目です。
竹増わかりますね。私の学生時代とは比べられないぐらい(笑)。
曄道はい、私もそうです(笑)。私たちの学生時代よりはるかに真面目で、チャイムが鳴ると、教室外で学生がたむろしているなんてことは、ほとんどありません。
竹増え? 今時の学生はちゃんと教室に入るのですね。
曄道入って、席に着いていますよ。昔とは違います。
竹増そうなんですか。確かに真面目ですね。
曄道本当に真面目だし、意欲もあります。だからこそ、彼らが学んだことをどのように現実の社会で生かすかを考えてほしいのです。大学はまだそこへの道筋を十分に設計できていません。最前線で格闘する竹増社長のお話を学生に届けたいと願うのは、そういう現実があるからです。
竹増非常に難しいことですね。
曄道学生時代はもちろん、社会に出て自分の能力を発揮していく。大学で教養を身につけるだけでなく社会で発揮していかないと、ただの物知りで終わってしまいます。その辺を学生たちにどう伝えたらいいか。学問的な立場でそれを伝えることはできても、そもそも社会での経験が乏しいので、なかなか切り込めていないと感じています。それでこういうお時間をいただきながら、社会と渡り合いながら学ぶヒントを学生に伝授できればと願っております。
竹増よろしくお願いいたします。
― 最初に、この1年間をふりかえっていただけますか。コロナ禍で、生活、働き方など、何がどのように変わったか、そこからお願いできますか。インタビューを始める前に、緊急事態宣言の前後、上智大学のある四谷辺りをよく歩いたとおっしゃっていましたね。そのあたりからふりかえっていただけますか。
竹増もう1年前になりますね。2020年、全国で小中学校、高校が休校になりました。休校要請が出て、東京都が外出自粛となり、そして4月7日に緊急事態宣言が出されました。当時の安倍総理が「国難」という言葉を使っていたことが強く印象に残りました。
阪神・淡路大震災(1995年)や、3・11(2011年、東日本大震災)、熊本地震(2016年)、北海道地震(2018年)など、私たちはいろいろな「国難」を経験してきました。いまだに完全に復興できたわけではありません。
― 大震災では物流が断ち切られ、大打撃を受けたと聞いています。
竹増そうです。それでも、ローソンはマチを支えようと懸命に物流を整え、お店もどんどん開けました。オーナーさんと一緒に頑張りました。多くの方々から、「やはりローソンのあかりがついているのを見ると、あ、私たちのマチはまだ大丈夫だ」「安心できた」というお声をいただいて、それを僕らもやりがいにして、オーナーさんと一緒にやってきました。何かあったときは俺たちが一番頑張らないかん、というDNAがローソン全店舗にあるんじゃないかと思っています。
ただ、そうしたこれまでの災害は目に見えているから、一体どうしたらいいのかという改善方法や道のりは見えてきました。ところが、今回は災害の姿が見えないわけです。ウイルスから身を守れと言われても、その姿形が見えない。そうした中で、隣の中国の武漢のニュースがどんどん入ってきたんですね。あの映像を見ながら、緊急事態宣言ということは、日本もこの先、武漢のようになってしまうのかもしれないと皆さん、不安を募らせる。そうなったときに生活を支える物をどうやって調達したらいいのだろう、と不安はさらに強くなる。
実は、武漢にもローソンがあります。そして、やはりコンビニエンスストアが生活物資の供給拠点になったのです。そのとき考えたのは、日本にもしものときが来たら、やっぱり僕らが必ず生活物資の供給拠点にならないといけない。感染防止を徹底して、何としても営業を継続しないといけない。そういうところから、1年前、オーナーさんと一緒に店内にビニールカーテンを設置したり、アルコールを入り口に置いたりなどの様々な感染対策を始めました。幸い日本は武漢のような事態にまではならなかった。コンビニだけが供給拠点になるということも、幸いなことになかったのです。敵は見えないので、闘いようもない、闘うすべもない中で、やはりいざというときは、マチの皆さんを必ずサポートしていくんだっていう思いだけで、昨年4月、5月と過ごしていましたね。
― 「オーナーさんと一緒に」についてお尋ねします。社長と14,000以上ある店舗のオーナーさん、どうやって意思疎通をされているのでしょうか。
竹増全店をつなぐストアコンピューターがありますが、そこに私のメッセージを毎週流しました。やはりオーナーの皆さんもこの先どうなってしまうか等、大変不安な気持ちでいっぱいです。だから「最後は必ず本部が守ります。約束します」というメッセージを出しました。それを信じて、動いてくださった。だから、みんなと一緒に営業継続できたと思っています。
やっぱり人が外に出て動かなくなると、がーんとコンビニの売り上げは落ちるんです。今まで”テッパン”だった、オフィスビルの1階にあるお店とか、ホテルの1階とかにも、もう誰も来なくなるわけです。そういう所にお店を出しておけば大体売れたのに。通勤途中、朝何かを買っていっていただいて、昼飯も買いに来てもらって、夜帰る前にもちょっと寄って何かを買っていこうかみたいな形だったですね。それが一気に失われました。
― 大打撃を乗り越えるために、どんなメッセージを出したのですか。
竹増これからどうしていくんだっていうときには、やはり原点というか、企業理念ですね。
「“みんなと暮らすマチ”を幸せにしよう」
僕らの仕事って何だっけと立ち止まって考える。やっぱり大きく需要が失われてしまうと、あれっ、僕らの仕事、マチの中でどうするんだろうっていうような疑問も出てくるわけですよね。そのときにもう一回、自分たちの仕事って何だろう、どうやって社会に貢献して、どうやってお客様の評価を得ているんだろうかと。「“みんなと暮らすマチ”を幸せにしよう」っていう思いで、オーナーさんと一緒にローソンというビジネスをやってるんだよね、と再確認するわけです。そのためには、一店舗一店舗が「マチの“ほっと”ステーション」になっていなければいけない。ほっと安心、あるいは、ほっとわくわくみたいな、いろんな意味を「ほっと」に込めてるわけです。そういうマチの拠点になる、それが僕らのビジョンだよねとみんなで確認しました。
そのために行動指針をもう一回見直しました。私たちは「ローソンWAY」という行動指針を持っています。誠実でいよう、それから、仲間をリスペクトしよう、気づきを声に出してチャレンジしていこう、そして、常に笑顔で仕事していこうじゃないか。そういった簡単なものです。その中の、やっぱりマチを幸せにしたいっていう思い、そこにもう一回立ち返ろうと。コロナ禍でがらっと変わってしまいました。お客様の価値観も、社会の価値観も。だから、私たちはもう一回しっかりとお客様を見て、マチを見て、自分たちが気づいたことをどんどん声に出して、会社としてもどんどんチャレンジしていこう。「チャレンジを、楽しもう」と。
― 何かチャレンジが始まったのですね。
竹増はい、社員だけじゃなくてオーナーさんも、クルーさんも、みんなで気づきを声に出していきました。30坪のお店をどういうふうに変えていこうかというふうなことに取り組み始めたのです。
今まで扱ったことのなかった生鮮野菜とか、丸ごとの果物とか丸ごとの野菜を全店に並べてみたりしました。マチの幸せのため、お客様に喜んでいただける、そういうことをとことんやろうじゃないかと。こればっかりは、やってみないと分かりません。もちろん、スーパーではみんなとっくにしていることです。じゃ、俺たちもコンビニに野菜置こうぜみたいな、そういう単純な気づきをどんどん実行に移しました。失敗とか成功とかって今はどうでもいい、失敗であっても成功であっても、全部学ぼうよと。学んで、次にまたチャレンジに生かしていこうと強調しています。
― 失敗してもいい。大胆な発想ですね。そのチャレンジをその後、どうふりかえったのですか。
竹増そういったチャレンジを、緊急事態宣言が解除された6月以降も続けてきました。積み重ねたたくさんの気づきをふりかえるために、昨年秋に、「ローソングループ大変革実行委員会」を社内で立ち上げました。俺たち変わるぞと。マチが変わっているのに今までと同じ商売をしていたら、もうこれ全然駄目だよねという考えです。マチが変わったのなら俺たちも変わって、新しいマチに幸せを実現するためにどうしたらいいかを考えようと。半年間の気づきをそこで全部まとめ、その下に12のプロジェクトがぶら下がる形にしました。そこには、全社員がオーナーシップを持って参画できるような形にしました。そこでまた全社員からの気づきを求め続ける、実行を続ける、終わらないのです。
みんなで一緒に考えるためのシステムもコロナ前から導入していました。「Teams」というシステムです。オンライン会議もできますし、チャットでいろんな気づきを出せる機能もついています。これがコロナになってから、存在感を発揮しています。
私は結構、出張が多いのです。北海道のオーナーさんの集まりに出向いて、いろんな話を聞いたりとか。これまでだったら1泊2日の時間をかけても、話してる時間は2時間で終わりなんてことが珍しくなかったのです。リモートになると、北海道でオーナーさんと話した1分後には、沖縄ともつながるわけですよね。
そうした変化を僕自身が気づき、集約していかないといけない。リモートだからこそ大きく変化できる、スピード感を持って変化ができる。そういうふうに変えていく機会にしています。
― 委員会で検証し、練り上げたものをどうしますか。
竹増委員会でさらに実行プランを練って、今年度から実行していきます。「100年に1度の危機」といわれています。危機であることは間違いありませんが、結果的には100年に1度のチャンスにもなったんだと思っています。今年度はチャンスをつかみ取る、実行段階です。
僕たちは変化対応業だと思ってやってきました。気がついたら「withコロナ」になっています。いろいろな専門家が感染対策について御意見を出していて、自分たちもこの中で実際生活してるわけなので、コロナ、どうやって感染防止するんだってことも分かってきました。次は、この変化の中でどう変わっていこうかというような局面なのだなと。
最初は防戦一方の2か月でした。そこから気づきを声に出す3、4か月目。お客様が変わっている、マチが変わっている、こんなことになっているし、あんなことになっている。チャレンジを繰り返しながら、それをまとめた10月、11月。そして、まとめたものの中で、全員参画型でもう一回プロジェクトをしっかりと練って、そして、今年、実行していくというような感じです。ピンチは必ずチャンスに変えると。
僕はよく言ってます。向かい風は、こっちが後ろ向けば追い風になるって。自分たちの見方を変える、あるいは向きを変えてみる。そんなことでピンチをチャンスに変えていこうとしてきた1年でした。
【ひとこと】 ピンチはチャンスとはよくいうものの、やはり向かい風は厳しい。俯きがちになれば、さらに風をきつく感じる。それを「後ろを向けば追い風」とは。聞く側の背筋も思わず伸びてくる。さあ、面白くなってきた。(曄)