求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

進化のために、しっかり手放す

マーケットがあるわけではない。今のようにインターネットで大勢と同時につながれる時代でもない。それでも始めてしまった、起業家育成のプロジェクト。困難もあっただろうけれど、「第一人者になれば食える」。実績に裏打ちされた話に、さらに耳を傾けよう。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)

新しいビジネスを追い求める

― 第一人者になれば食える。なるほど、そういうことですか。

宮城 左うちわとは言えませんが、食えはするんです。ただ、NPOはジレンマも抱えています。自分たちで世の中になかったものやサービスを形にして、マーケットになっていけば、ライバルも増えます。そこでさらに未開の領域に行くフロンティアマインドがなければ、役割を終えましたと解散してもいいわけです。解散も一つの潔さだとは思いますが、経営、組織として継続や発展を求める視点に立つならば、常に新しい領域に挑み続けることで凌ぐしかない。何とか回してきたというのが、一番正直な答えではあります。

― 宮城さんの元からどんな人が巣立っていったのでしょうか。

宮城 たくさんいすぎて、個別に挙げるのは難しいのです。共通していえるのは、学生時代くらいから何らかの準備をしたり、アクションを起こしていたりした人たちが頭角を現すスピードが速いのは間違いないですね。学生時代に動き出すと、社会の前提にとらわれない、自由な挑戦をしやすいです。今活躍している教育関連のNPO、カタリバの今村久美さんも、学生時代に活動をはじめて、当初は今のように寄付の文化や基盤もなく、収入のあてとか継続していく事業モデルとかぜんぜん見えませんでした。志だけで挑むなかで大きな苦労があったと思うんです。けれども、5年、10年と走り続けるなかでそれを支える寄付などのお金の流れもととのってきて、結果的に当初の志をたてながら、今では子どもたちのキャリア教育などの改革を進める第一人者として、大きな存在感を放っています。彼女たちは道なき道を切り拓き、あらたなマーケット、事業の生態系を創り出したといえます。いきなり起業ということでなくても、学生時代から何等か歩みを始められる人は、何ももっていないようで、本当は今の社会にない、クリエイティブなことを成し遂げられる大きな可能性をもっていると私は思っています。

曄道そういう話を聞くとワクワクしますね。とはいえ、学生たちを見ていると、どうしても大手企業に人気が集まる傾向が強いのです。恐らく本人もそうだし、保護者の影響もあるのでしょう。まだまだ起業の道に進む学生は少数派です。もっとそっちに学生が進んで行ってもいいのにという気はするのですが。社会の変化の度合いがそういったアントレプレナー精神に、起業を実現するエネルギーに与える影響は、始められた当時と今とでどういうふうに変わったと思いますか。

宮城 勉強会を始めた1993年の時点で既に変わっていたと私は見ています。意識の変化は水面下で始まっていて、社会的な背景を契機に少しずつ表面に現れ、今に至っていると思うんです。例えばリーマンショックも東日本大震災も一つの契機ではないでしょうか。そういう中で意識の変化が顕在化し、さらに進んで行動として顕在化するのでしょうね。
 人に影響を与える社会の変化という点で、私はインターネット普及がすごく大きいと思っています。それは、さらにこのコロナ禍で加速しました。潜在的だった意識の変化が顕在化してきつつある。まだドラスティックに行動には現れていない。ぐぐっと上がるタイミングが来つつあるんじゃないかなとは思っています。現れ出したら早い。テクノロジーの進化を見ていても、分水嶺を越えたときのように、突然ぐぐっと実際の社会が変わるということがあるでしょう。夜明け前というか、新しい世界を見据えて自分を進化させられる人にとってみれば、すごく面白い時代が到来します。目を背けたい、過去の栄光にしがみついて未来を正面から見たくない人には、しんどい時代が来ているのではないでしょうか。

デジタルネイティブとのギャップ

― 活動を始めてから約30年、コミュニケーションの取り方も含め、社会が変わりました。

宮城 そう、社会が質的に変化していくプロセスを見てきたという感覚があります。私がETIC.の活動を始めたときは携帯電話も普及していなかったので、例えば勉強会の案内は直接、学生の自宅の固定電話にかけるしかなかったんです。だから、特に女子学生の家に電話するのがすごく苦痛でした。怪しまれるわけですよ。「何なの?」とお父さんが出てきたりするわけです。だから、しどろもどろになりながら、早稲田大学の宮城と申しましてと挨拶する。こういう活動をやっていると言い出したらかえって怪しまれるので、大学名の方がまだ信頼度が高かったので、それで本人につないでもらっていたんです。今では考えられないでしょうが、それを一軒一軒、電話する以外の手だてがなかったわけです。今は1人の人間が持っている社会への影響力、潜在的な影響力が比べものにならないぐらい大きくなっていますね。
 それは逆説的に言えば、さっき学長がおっしゃった、能動的に生きざるを得ない時代が目の前に来ているということなのでしょうね。ただ、一方では、能動的に生きざるを得ない時代になっているけれど、まだ潜在的で、現実は大きく変わっていないようにも見えるという、ギャップが残っている時期なのかなとも思います。
 潜在的な変化が社会に現れてくるスピードが3年なのか5年なのか、はたまた30年なのかは読み切れませんが、私はかなり早いと思っていますね。中学生や高校生向けのプログラムにも進めている中で、後戻りが利かない時代が来ていると感じています。

― 中学生や高校生と関わる中で、何を感じ取ったのですか。何か具体的なエピソードがありますか。

宮城 中学生や高校生には、我々が持っていた価値観を魅力に感じるという感覚がすごく薄まっています。例えば自分で会社をつくるとか、ユーチューバーになって自分で稼ぐといった話は、93年当時はあり得ない夢物語でした。利益が得られるかどうかわからないプロジェクトにクラウドファンディングでお金を集めるなんてあり得ない話ですよ。でも今は、そういうことを当たり前の選択肢として持っている。だから、自分のつくりたい社会は自分でつくればいいという立ち位置で、実際に立ち得る人が出てきているわけですね。それが昔だったら突然変異の天才みたいな位置づけでしたが、明らかに一つの層として、まるで束のように出てきていると感じています。
 しかも、世代の中での情報に対するギャップが小さくなっているようです。例えば10歳の子、世界中の10歳の子が持っている情報はかなり近くなってきているのではないでしょうか。スマホを持っていると、途上国の若者も東京やニューヨークの若者も、かなり近い感覚をシェアできている。人口比で言うと、いわゆる「Z世代」、今の大学生以下の世代が人口の3分の1を超えています。日本社会は少子高齢化のイメージがありますが、世界中で言えば、むしろ若者の時代になってきています。彼らが同じインフラと情報をシェアしながら世界中でつながり始めているという事実を見ていると、地域間や国家間のギャップよりも、世代間ギャップのほうが埋め難いという感覚があります。

― 地域間や国家間のギャップよりも、世代間ギャップの方が埋めがたい、ですか。

宮城 ダボス会議に参加した際にも、世代によって社会の捉え方やスタンスが違うと感じていました。50歳以下ぐらいの世代、ヤング・グローバル・リーダーズの感覚はかなり近い、見ている世界が近いと感じています。彼らにとっては、国家もかなり相対化されているんですよね。
 それが今の10代では、もっと相対化されています。しかも、国家を無視しても生きていけるかもしれないという時代が来ようとしています。10代はデジタルネイティブ世代です。物心がついたときには身近にスマホがあったという世代、ネイティブであるという事実は結構大きいと思います。その世代が「私たちはソーシャルグッドネイティブ」という言葉を使ったりすることもあります。社会をよくしたいとか、地球を考えるとかということがすごくナチュラル。振りかぶって活動家だとかという体で構える必要もなく、大人がそれを考えないのが不思議、みたいな感じの世代だと思うんです。
 そういう人たちがつくっていく社会が新しい層として現実化されていくと感じているので、変化は結構なスピードで津波のように押し寄せるのではないかと思うのです。今まではさざ波しか見えていなかったのが、どっと来る。それも遠くない未来に。それをコロナがさらに早めたと見ています。

フロンティアマインド

― デジタルネイティブ世代は、自然体で動いていることもあって、変化も速いということですね。
 先ほどフロンティアマインドとおっしゃっていました。宮城さんご自身がフロンティアマインドで起業支援からベンチャーへのインターンシップ、ソーシャルビジネスへと次々に活動の方向性を変えてこられた。このたびは28年間務めていた代表を突然、辞任されました。これもフロンティアマインドの延長線上のことなのでしょうか。

宮城 自分にとっては突然ではないのです。私の中では、辞任も含めて全て地続き、続いている話です。組織も変わらなければいけないと思っています。
 今回の決断はあくまでも組織の進化を考え抜いた結果です。自分自身が手を放すことが一番それを加速させると気づいたんです。

― 創業者が手放すことが進化につながるのですか。

宮城 ETIC.に来るスタッフたちは、意識の面で「ニュータイプ」に近づいている世代です。だからお金や権威で彼らをコントロールすることはできないんです。例えば彼らからみると、ヒエラルキーの構造自体が違和感なんですよ。違和感があってもヒエラルキーの構造自体は厳然としてある。そうなると、上司への不満とか、あるいは自分自身の存在意義が分からなくなったりとかで、ストレスとして蓄積されていってしまう。フロンティアマインド、新しい社会をつくっていこうというマインドで仕事をしているチームだと私は思っていたのですが、自分たちの組織のありようがもう古くなっていたのだと気づいたのです。
 メンバーの進化に合わせて組織の在り方も進化させなければならなかった。それとちゃんと向き合えていなかった反省がありました。

― ヒエラルキーとは、具体的にどのような組織なのでしょうか。

宮城 トップがいて、ディレクターや理事がいて、マネジャーがいる。そうした縦構造は多様なプロジェクトをいちどきに走らせるにはよくできているわけです。スタッフの声をダイレクトに聞くシステムもありました。
 ところが、その構造の中でスタッフたちはストレスや違和感を抱えていると感じていました。同じ志を持って個人としては仲良しで尊敬できるのに、組織のピラミッドに組み込まれた瞬間、上司と部下になって、妙によそよそしく、時に疑心暗鬼を募らせてしまう。仕事にしても、ボランティアでやっているほかの仕事のほうでは情熱をかけられるのに、仕事となると、効率ばかり追いかけるみたいな。人間的にも仕事の内容としても、自分が阻害されていくみたいな矛盾を私自身も感じていたんです。本来生まれるはずのないあつれきみたいなものまで生まれてきて、スタッフが組織を離れていくことも目の当たりにしていました。

― 悩んでいた宮城さんの背中を押したものがあるのでしょうか。

宮城 「ティール組織」という本との出会いです。アメリカのフレデリック・ラルーさんが書かれた本です。その中に出てくる「自主経営」という考え方を、一つの解としてこの3、4年、改革を進めてきました。たまたま著者のラルーさん方が2019年秋に来日し、話を聞く機会がありました。それが、この組織は誰のものなのかと問い直すところから始まるんだと学ばせてくれるひと時となりました。

【ひとこと】 たった1人の思いで始まった活動が、実績を積むとともにピラミッド型の組織にと変容していく。目的達成には都合のいい効率的な形だが、中の空気の変容を宮城氏は誰よりも深く感じ取っていたのかもしれない。組織内で生まれたストレスや軋轢で去っていく仲間たちを見送る姿は、想像するだけでも胸がつまる。(奈)