授業中に教室の隅で髪や化粧を直していた女子学生から一念発起。出産してわずか3週間後に起業し、長時間労働が当たり前の日本流働き方の変革に挑む。その道から、仕事と生活の両立を図る珠玉のワザが見えてくる。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
― 出産して3週間後に起業したワーク・ライフバランスで、残業ゼロを徹底されているとか。しかも、自分もチームも疲弊せずに成果を上げることがモットーとも聞いています。ごもっともな働き方です。でも、そうした働き方、企業のあり方に対する政財界の受け止め方はどうでしょうか。起業した2006年当時と今を比べ、何か変わっていますか。
小室2006年、ワーク・ライフバランスという事業内容で起業すると聞いた人の反応は、「それはNPOでしょ」「ビジネスとして成り立つとは思えない」でした。ワーク・ライフバランスなんて概念自体も知られていませんでした。
働き方改革コンサルティングという領域は、2000年にブレア政権でやっていたことを色々と調べている中で見つけました。ブレア政権がワークフレキシブル法をつくったとき、いきなり企業を変革するのは難しいから、1社あたり、日本円でいったら500万円ぐらいのコンサルティング・フィーを国が肩代わりするから、コンサルに入ってもらってフレキシブルな働き方ができる状態に切り替えていきなさい、先着500社分まで国が肩代わりします、と政策を打ったのです。それを受けて、世界的なコンサルティングファームが企業に入り、フレキシブルな働き方ができるようにコンサルティングしたそうです。
そういうコンサルティングはしかし、日本のコンサルティング会社でできるわけがない。コンサル会社こそ長時間労働でしたから。ならば、それをできる企業が今後、必要になるという信念がありましたが、当時は全然、相手にしてもらえない状況でした。
ただ、女性の活躍とか、女性のロールモデル、育児休業制度の整備に興味がある企業は多かったので、最初はそこを皮切りに入っていきました。資生堂時代につくったプログラムのバージョンアップで、育児休業だけでなく、介護、メンタルで休んだ人向けの復帰プログラムも全部入れたサービスもつくった。最初の4、5年は、介護に力を入れました。男性経営者は女性活躍というとアレルギーが強かった。逆に経営層に関心があったのは、自分と同世代の男性たちが親の介護で休み始めていたことでした。介護休業はこれから大問題になるという意識は持っていた。だから、介護を抱えていても働き続けられる働き方に変えていきましょうという話は、どの企業も関心を持ってくれた。あえて女性とか育児という言葉を使わず、純粋に労働時間の改善、「誰かの仕事」とせず、チームで成果を上げるやり方に変えていく、そういうコンサルティングですという戦略で進めました。初年度から黒字になりました。そこからは16年間ずっと増収増益で、今日までやっています。
― 御社では、どうやって残業ゼロで成果を上げることを実現しているのですか。
小室私自身が当初から時間制約つきでした。自分は定時で帰れても、他の人が残業していたら、肩身が狭くて仕事のやる気が落ちると分かったんです。会社がやりがちな施策は、事情を抱えた人だけを早く帰らせてあげるというもの。一見「優しい」ですが、実際には本人は意欲をどんどん落とします。早く帰った人の分を肩代わりをさせられる人も、別の事情を抱えていたりします。子どもが不登校とか、障がいを持っているとかは、会社に言いにくい。みんな必死で「私はできます」というふりをしがちです。誰かの仕事を誰かに移し替えるという方法ではなくて、全員で時間内でやり切り、みんなで定時には颯爽と帰るということを前提にしたのが、ワーク・ライフバランス社のあり方でした。
誰かしか知らない仕事があったら、その人だけが背負いこむことになる。だから、徹底的に見える化、共有化しました。私がネットベンチャーでインターンしていたことが役立ちました。ITに強くなれたので、情報はクラウドにあげて情報共有をするという形を採用しました。弊社では、個人のメールアドレスはない。私もそうです。大半のやり取りは、広報関連なら「メディア@」、セミナー関連だったら「セミナー@」というふうに業務のメールアドレスになっていて、1つのアドレスを5人以上が見ています。
チームの誰かに保育園からのお迎え要請が来ても、仕事に穴が空かない仕組みを考えました。全員が今日の業務はどこで何をやるのかということを30分刻みで見える化して、朝一番に送り合って、それを見たうえで一日をスタートするので、突然お迎えコールが来て帰った人がいたとすると、その人はそこから何をやる予定だったかを全員が把握できる。これは今日、納品しないとまずいとわかるから、みんなで取り組む。朝一番に見える化し、夜には振り返りをし、どんな突発事項が入ったから、何を後ろ倒しにしたかを共有して終える。
― 子育て中の社員にとっては、ありがたいですね。子どもはしょっちゅう熱を出しますし。
小室子どもの発熱の予兆もみんなで把握します。「赤ちゃんが寝ない」というメールが来ると、明日は赤ちゃんが熱を出すなという予感を共有する。さっとサポートに入れ、お互い様だよねというふうに言い合える。こういう仕組みが一番大きかったかなと思います。
― 生活と仕事を両立する、まさに働き方が変わってきたのですね。その現場に学生を送り込む大学に、どのようなことを求めますか。
小室上手に両立するスキルを身につけずに社会に出てしまうことが多いようです。試験期間中は試験に集中。試験が終わったら、こんどはバイト中心という感じです。実際の社会人生活は常に全部がオン・ゴーイング。どれかを一時期やめるという選択肢はありません。
自分の24時間をどうデザインするかを学んで社会人になってほしいです。社会と連動する大学での学びです。それをやっていれば、社会人3年目ぐらいですごく差が出てくると思います。先輩たちからは、「この3年はワーク、ワーク、ワークでいい」と言われ、仕事一色の毎日を過ごしてしまう時期です。そうすると、自分の能力のなさを時間でカバーするという仕事の仕方を覚えてしまう。時間外労働が前提のライフスタイルになって、結果的に外とのネットワークを遮断してしまいます。いろんな企業をコンサルして気づいたのは、若い頃に残業ばかりだった人は、名刺が通用しないところに行くのが怖くなっています。自分の会社を「お取引先」と大事にしてくれる人には偉そうにできますが、名刺が通用しないコミュニティーでゼロから勉強させてくださいと言って入っていくことができない。そういう人がいっぱいいます。
名刺が通用しない所に出ていっていつでもゼロベースで学び、会社に新しい価値や学びを持って帰れる人になるためには、まさに新人時代が勝負で、そこを意識した大学生活を送ってほしいと思っています。
曄道冒頭に申し上げた「働くと学ぶ」のボーダーレスは、まさにそういうことです。けれども、どうもうまく連動しない。大学で学んで、社会に入ったらそれじゃ通用しないぞと。だから、今、本学では徹底的に社会を意識できる教育へと改革している最中です。
御社の名前のようですが、「スタディー・ライフバランス」をもっと考えないといけない時期に来ていると思っています。多様な人々と対話や議論を重ね、新しい何かを生み出す。そのためにもっと学びに多様性を取り込まなくてはいけないと常々、教職員や学生たちに話しています。
お話をうかがっていて、学生たちの学びと、彼らの未来のライフのバランスが取れるような環境をつくらないと連動性の実現は難しいと考えました。「社会に入ったらこうなるんだよ」と言うときの「こう」は、うちの学生は優秀ですから頭では理解するけれど、実際に何なのかということはわからない。さらに、大学の教員も職員も「社会に入ったらこうなる」を経験していないので、ますます伝わらないのです。大学では、誰も知らないけれど「社会ではこうなる」と言っているに過ぎないのです。学び方をもっと変えていかなきゃいけないと、いつも考えています。
小室ある程度、時間がかかるものを出さないと宿題じゃないじゃないという感覚が大学の先生方にあるようですが、最小限の時間で何を気づかせるのか、それをどうしたら継続させられるかという観点になると、学び方も変わるのではないでしょうか。
長男が高校生なので、そろそろうちでもそういう観点が必要かなと考えたりしてますね。
― 小室さんご自身の時間管理について、教えていただけますか。公私ともたくさんのことを抱えているのに、趣味もボランティアにも時間を使っているっしゃる。爪もとてもきれいにされていますね。梅雨空をバックに紫陽花をあしらったネイルですね。どうやって時間を捻出しているのでしょうか。
小室私にしかできない仕事はない、という状態を常につくっています。つまり、私のワーク・ライフバランスの最大の秘訣は「人の育成」だと思っています。自分の頭で考え動ける人が組織の中にいれば、その人に仕事を権限委譲して任せられますから。自分にしかできない、他者と差がつき過ぎた状態では、当然、自分のところに全ての仕事がやってくる。私の場合は、起業したときからずっと時間制約つき社長なので、自分で何かを全部背負うということは、最初から不可能でした。
私は全部背負いがちな人間ですが、それが許されない環境で始まったことで、人を育成することに力を入れた。こちらの熱量が高ければ、育成されたその人は別の人をまた熱心に育成します。
その結果、社員それぞれが、人に権限委譲することが上手になっています。人を育成し仕事を任せて、みんなでパス回しを美しくしていく。これがバランスの極意かなと思います。
日本の企業では、屈強な1人のプレーヤーが最初から最後まで走り切ってトライを決める!みたいな傾向がありますね。その屈強なプレーヤーを何人集められるか、ドリームチームをつくれるかといった発想をしがちですが、そんなドリームチームは無理です。
うちはそもそもベンチャーですし、お給料が高額なわけでもないので、すごい人を集める戦略は取れません。しかし、採用した人材を皆でどんどん育成して、どんどん仕事を任せてという形でお互いがサポートし合ってるから、定時に仕事を終えてやってこれていると思います。
― 最初からその境地に達していたのですか。
小室起業した当初、出産直後は子どもを寝かしつけてから仕事しようなんて思っていたんです。授乳で2時間おきに起きてしまうので、ついでに夜中にメールを書き始めたり、仕事をしたり。
でも、大失敗でした。夜中にメールを書くと、自分が寝不足なのですごくきつい書き方になっていた。社員に対して「どうしてできてないの」みたいな内容を送ってみたり。さらにはそのメールを間違えてクライアントに送ってしまったのです。メールは送ってしまうと取り消せません。この事件で、寝かしつけてから起き出して、もうちょっと仕事しようなんていう生活はもう絶対駄目と痛感しました。
子どもが寝てくれないことにも、疲労困憊していました。何でこんなに寝ないのかしらと考えているうちに、こうなったら私が毎日9時半に先に寝ちゃおうと思って、開き直って寝てしまったら、その10分後ぐらいにちょっと目を開けてみたら、私の横で子どもももう寝ていたのです。それで気づきました。この子は私が寝ないから不安で寝なかったんだと。もうそれからは、ママは先に寝ちゃうもんねというスタイルで、今も9時半には必ず寝ます。ちょっと読書したとしても、10時には本持ったまま寝ちゃってるという感じです。それで朝5時までの7時間をきっちりと寝て、朝から大体40分ぐらい勉強か運動をするという生活リズムです。コーチングの資格や、介護のヘルパー2級の資格を取ったときも、毎朝40分の勉強時間を取りました。大体5時40分ぐらいになると子どもたちが起き出してくるので、それで終了と決めていました。そこまでの40分間を「自分の時間」と決めて、朝の一番集中力の高い時間帯に一気に勉強するスタイルで重ねています。土日も育児があるので、まとまって勉強する時間やどこかのスクールに通うことも一切できなかったですが、毎日たった40分でも、このスタイルでずっと現在まで続けてこれているという感じです。
曄道たくさんの努力の積み重ねで道を開いてこられた。素敵です。最後の質問にします。これからの道、どう歩いていきたいと考えていますか。
小室今一番やりたいことは、社会全体の働き方をもう1レベル上げることです。勤務と勤務の間を11時間あける「勤務間インターバル制度」を日本社会で法制化することです。2019年の労働基準法改正のときに、時間外労働時間の上限をめぐって、水面下で激しい戦いを繰り広げました。ただ、月間45時間だとか100時間とする月間上限時間を決めて、たとえそれが守られていても、3日間連続で徹夜させてしまったら、メンタル疾患を発症してしまったり、過労自殺につながってしまうことがあります。精神障害や脳・心臓疾患による過労死の企業への認定請求件数も、増え続けてしまっています。
こういう状況を変えるには、月間での総労働時間の上限だけではなくて、一日ごとの睡眠時間確保の政策が必要です。1日7時間の睡眠が不可欠です。寝始めてから6時間目以降が脳のストレスを解消することは、脳科学で解明されているからです。6時間以上寝ないと、一日ごとのストレスが蓄積してしまい、鬱になりやすいのです。
そこで、7時間睡眠の確保を企業の仕組みの中に入れる必要があります。勤務と勤務の間にたった11時間あける「勤務間インターバル制度」です。24時間から11時間引くと13時間ですから、所定労働時間の時間8時間プラス5時間残りますから、毎日5時間残業することも可能な制度です。これは月間に換算すると約100時間の残業に当たります。「11時間の勤務間インターバルを法制化」と聞くと、「そんな無茶な」という反応をする経営者がいますが、100時間も残業できる制度で業績を上げられないというのは、経営者の能力の問題だと思います。勤務と勤務の間に11時間程度も入れられないという国であってほしくはない。EUでは1993年採択の労働時間指令を全ての国が批准してます。これを日本にも根付かせる、それが私の次のターゲットです。
学者ではないので、いろんな先生方から学びながら、日本の中で実現するなら、どの法律のどこをどう変えるかを提言している。わが社では、コンサルティング事業の利益をCSR投資として、こうした政府の姿勢を変えるための政策提言に使っています。その点については、社員みんなが合意してくれています。社会を変えることこそが私たちの会社の目的だと合意しているので、今後こうした活動をもっと邁進させていきたいです。
― 最後に、次の求道者をご紹介いただけますか。
小室AIで有名な企業「シナモン」の平野未来さん。3人目を出産されたのが今年4月だったので、お忙しいかもしれませんが。
曄道理系、女性。ぜひ学生たち、その下の世代の人たちにもお話を聞かせたい。よろしくお願いします。今日はありがとうございました。
【おわりに】 学びと仕事が分断されている現実を、また突きつけられた。入社3年目で「仕事漬け」では、名刺の通用しない社会には出ていけない。それは人生100年時代の生き方には相応しくないのだ。上智大学で3年前に始めた「プロフェッショナル・スタディーズ」は、まさに学びと仕事の架け橋を志向している。第一線で働く企業人たちが歴史や哲学、文化などの教養を深め、明日の社会を変える「智」を模索する場だ。あまり大っぴらには言えないが、実は私自身は、こんな試みが必要ではない社会の構築を狙っている。学び、働き、生活を楽しむのが当たり前の社会。「枠」を外した社会の構築に向けて、もうひと頑張りしよう。(曄)