あなたは今、分岐点に立っている。さあ、何を判断基準に道を決めようか。シナモンAI代表取締役Co-CEOの平野未来氏の選び方は、「迷ったら面白いことを選ぶ」。同じことをしたくない、初めてだから面白いのだという。そこには失敗を恐れる気持ちはないのだという。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)
― 思考が拡散していく子ども時代を経て、大学や大学院で収束していく。発散と収束で思考を深めてきて、今があるわけですね。
平野そうですね。大学に入るまでは発散しかしていなかったと思います。初めて大学で、収束してきた。今日話していて感じたのは、大学入学後、私は自己表現してきたのだなあということです。プログラミングを知ってから、いろいろなサービスを学生のときに立ち上げて、うまくいかなかったらやめて。そういうことを繰り返していました。アイデアが次々に出てきて、それを表現するのがプログラミングだったようです。
― プログラミングを自分の武器にしたのですね。
平野そうです。プログラミングもそうだし、大学4年になって論文を書くことを自己表現として覚えたのですね。起業もその表現の一つ。自分が実現したい世界の表現をしているだけだったのだと何だか腑に落ちました。
― たくさんの道が目の前にあるわけですね。何を判断基準に選ぶのですか。
平野判断基準が自分の中にあるわけではなくて、テンションが高まり過ぎちゃって、やらないという選択肢を全く考えられないって状態になって、わーっといく感じですね。
曄道個性的って言われたことはありますか。
平野小さい頃から言われていました。個性的ならまだいい方。「変な子」でしたね。
曄道これが今一番問題だと思っています。日本社会で、個性的というものがネガティブに伝わっちゃう。私は大学で学ぶ意義とは何かと聞かれたら、間髪入れず「個性を磨くことだ」と言っています。ところが小さい頃には許されない、日本社会では。本当に大きな問題だと思います。
平野同感です。小学生の時、勉強ができると他の子に嫌な目で見られることがありますね。だから、圧倒的に早く終わっても出さずに我慢していたとか、テストが満点にならないようわざと間違えるとか、目立たないための処世術は身につけました。
曄道我慢してほしくなかったなって。傍で話を聞いているだけの者としては思います。
平野いや、私の受けた小学校教育は本当に最低なものでしたから。毎日殴られるみたいな、そういう担任の先生に当たってしまって。小学校って担任の先生がルールみたいな存在ですから。そこで生きていくためには我慢せざるを得なかったんですね。
― それが現在に至る道の初期にあったのですね。起業から今まで波がありましたよね。全く平坦な道のりではなかった。乗り越える原動力は小学校のときの耐える力でしょうか。
平野でも、それもあったと思いますね。起業していると大変なときも結構ありますが、小学校で経験したことに比べたら、全然ましだと思いますね。私にとっては地獄でした。
― 迷ったら面白いことを選ぶとおっしゃっていますね。
平野そうですね。同じことを二度もしたくない気持ちが強いです。同じことをするのってつまらないじゃないですか。
― それは今の学生にぜひ伝えていただきたいところです。今の学生は、安定志向が強いように見受けられるからです。前と同じことならば、失敗する確率は低い。特にコロナ禍では、学生の省エネモードを強く感じます。
平野何で失敗したくないのでしょうか。
曄道失敗という言葉の意味をそう教わってきているからですよ。「失敗はしてはいけないもの」「失敗は悪」と教育されているからです。だから、失敗学が世に出たときに、社会が強く反応したわけですね。ああ、そういうものの見方があるのかって。「失敗は悪」という考え方が社会にこびりついていたのでしょう。失敗しない人なんているわけがないのに、「失敗が悪」がなぜ浸透したのか私には分からないのです。
平野それも心の教育が足りていないからだと思うのです。評価軸が自分にあるのか他人にあるのか、この違いだと思います。他人の評価に軸を置くと、成功しているふうに見られたいとか、褒められたいとかになってしまいます。でも、自分の評価に軸を置いて、こういう世界を実現したいという思いで生きていたら、途中で失敗するのは当たり前と受け取れる。失敗じゃなくて、うまくいかないケースというとらえ方ですね。うまくいかないなら、方向性を変えてみよう、トライ・アンド・エラーが当たり前だと思える。
他人の評価に軸を置くということは、「他人の天国に住む」こと。それは「自分の地獄に住む」と同義です。心の教育が欠けています。
― 「他人の天国、自分の地獄」——。名言ですね。心の教育とは、そういうことを意味していたのですか。そういう名言を持っておられるということは、他人の天国に住んでいる人が現実にいることを実感しているからでしょうか。
平野そうですね。「役に立たなければならない」があるから、他人の天国に住むことになるのではないかな。他人の期待に応えないといけないとか。
― 価値観の転換、その点で大学への注文もありそうです。
平野「論文を書く」は、すごく楽しい行為だと思います。だから、4年生以上とか一部の学部、学生だけでなく、もっと早いうちからやったほうがいいと思っています。
あとは心の教育。自分にとって意味あることは何なのかというのを見つけるきっかけです。私自身も見つかったのは三十二、三歳の頃でした。見つけるには、自分の感情に対して正直になるということが必要だと思っています。ポジティブが大事なのではなくて、私はネガティブな感情こそが意味があると考えています。昔、事業がうまくいかなかったときに、株主に、平野さんには失望しましたと言われました。私の力不足はもちろんありますが、それを言われて、内心、穏やかではありませんでした。そのときに内省をした結果、この私のネガティブな感情は、他人の期待に応えなければならないという、そこから来ているとわかりました。だから、そういうネガティブな感情を理解する教育があるといいなと思います。
曄道でも大学は、そういったことを教育する場ではないと思うのです。学生たちがどう経験するかという場の提供はできるけれど、そのときにこう考えるべきだといったことを教え始めたら、ずれていってしまう。大学は学術的を体系的に学ぶところで、そうではない部分は、心の教育を含めて、本人に任せるべきだと思うんです。
中等教育との接続の問題はそこにあって、心の教育を任せられないから、大学もある意味、過保護教育になっている。過保護というのは、手を突っ込み過ぎるということです。心の教育をするというよりも、葛藤が自分を成長させる源泉であることにどう気づかせるか。要は平野さんが経験したようなことをどうやって、今いる学生たちに考えさせるか。それこそ1学年に上智の場合は3千人いるから、3千通りの手法がないといけないわけです。
― ビジネスの最前線に立ちながら、3人のお子さんを育てていらっしゃる。いったいどんな生活をされているんですか。
平野本当に大変です。今のところ何かを新たに学ぶ時間とかは全く取れないです。仕事をするか、もしくは子育てをしているかのどちらかで、私の24時間が終わっている。1分たりとも休む時間がないみたいな日々を、特に3人目が生まれてからは過ごしているから、さすがにバランス的によくない傾向だなと思っています。
― 朝は何時に始まりますか。
平野朝は大体6時から6時半ぐらいに始まります。今、仕事はオンラインが多いですが、仕事は8時半ぐらいに始めます。3人目は体が弱くて、風邪なんかを引くと保育園には行かせられず、家でみています。シッターさんも一日中いてくれるわけではないから、子どもを見ながらミーティングに参加したり。私か夫か、シッターさんか、誰かが子どもを見ている状態です。それが午後6時まであって、そこから9時までというのが子育てタイム。9時に寝ても、夜中に3人目が起きたりするので、ミルクをあげて。今はそんな生活です。
― 学んでいる時間がないのに、新しいことを常に考えていらっしゃるのですね。
平野それは勝手に脳が、忙しいので(笑)。
― 小学校での授業を聞きながら、お団子1,000個を想像するように、日常の何かが刺激して新しいものが見えてくるのでしょうか。
平野私の場合はアウトプットする機会が多いことがあると思います。日本人はまず「インプットありき」で考えているでしょう。インプットをたくさんしたら、アウトプットみたいな。よく「起業する前に何を学びましたか」という質問を受けますから。アウトプットする機会はいろいろあります。政府の委員会などに出て、そこでいろいろ質問されるわけですよね。何か答えないといけないので、考える機会をいただいている感じです。
― なるほど。アウトプットの機会を活用するということですね。
平野アウトプットする機会を作るというのが大事だと思っています。
― 脱線しますが、平野さんのお話は、子育て中の親を安心させてくれるのではないでしょうか。授業中ぼーっとしている子ども、よく耳にします。でも、平野さんの笑顔を見たら、不安にならなくても大丈夫だなって。
曄道大学生の保護者と接すると、その手の相談が多いです。「ぼーっとしている」「○○ができない」って。私は、いつも、なぜそれが駄目なのですかって必ず尋ねることにしています。可能性のある、ポテンシャルのある、お子さんの自慢話をされているのかと思いましたとも言うんですよ。
平野今の私は、親の教育の力が大きかったと思います。母親の良かったところは、働かないといけないだとか、そういった考えを持っていませんでした。「就職しないの?なら旅行へ行こうよ」みたいな、そういうタイプの母親で。ああ、みんなと違ってもいいんだな、じゃ起業しようと気楽に考えられました。
父親の良いところ、今でも覚えているのは、小学校1年生のときの言葉です。「将来、就職するだろうけれど、就職人気ランキングに入っている企業には行くな」と。
― お父さんはどういう意味でおっしゃったのでしょうか。
平野企業には栄枯盛衰があるものだから、今、ベストなところは、絶対にこれから落ち目になる、それが当たり前だと。父親は弁護士です。周りの人たちに未来ちゃんのお父さん弁護士なんだ、すごいねとか、友達のお母さんから、未来ちゃんは将来弁護士になるの?と言われていました。子どもながらに、弁護士というのはステータスの高い職業なんだろうと思っていました。けれども父親は「弁護士には絶対なるな」とも言っていました。弁護士は今は人気の職業だけれども、絶対にこれが変わるときが来るからと。
― ご自身に対しても含め、俯瞰できるお父様なのですね。
平野そうですね。知的好奇心を大事にするというところはありました。実家には大量に本が置かれていました。父は私の話をいろいろと聞いて、こういうことに興味を持ちそうだと思った本を買ってきて、あちこちに置いていました。トイレや洗面所にも本棚があるんです。さりげなく置いておいてくれるんですよね。これを読めとかは言われなくて、置かれているから、何となく手に取る。小学生から実家を出るまではずっと続いていたので、それはありがたかったです。
曄道すばらしいですね。
― 印象に残っている本はありますか。
平野中学生の時に読んだ遺伝学とか。遺伝子は乗り物であるみたいなことが書かれていました。物理、会計学とか、いろいろ置かれていましたね。
― これからどんなふうに歩んでいきたいと考えていますか。
平野ビーイングを大事にしていきたいなと思っています。私は結構、昭和的というか、ドゥーイングに寄りがちです。結果を出し続けなければならないと考えている節があります。自分が何か結果を出し続けなければ、私も役に立たなければならないという、そんな呪いが私にかかっているように思います、正直言って。だからこそ、自分はいるだけでいいんだという、ビーイングを大事にしたいです。
曄道自分自身の在り様の話ですか、それとも自分自身の存在ですか。つまり、存在そのものに平野さんが関心を持っておられるのか、結果が出るとか、出ないとかじゃなくて、「自分にとって意味のあること」をやっている、自分のスタイルという意味でのビーイングでしょうか。
平野「自分にとって意味のあること」です。
― アウトプットとインプットの話に戻ります。社会人になったら、学ばなくてもいいという話ではないですよね。
平野そうですね、学んだらいいんじゃないかなぐらいの感じです。(笑)
曄道政府の委員会に出られて、質問が出てきて、必死に考えているとおっしゃっていましたね。私はそれをうかがって、ほら、やっぱりずっと学んでいるじゃないかと思いました。要は何々学とか、何とか講座ではなく、出てきた質問を手がかりに自分自身のアウトプットを導く、その訓練の成果が学び続ける力だと思うのです。社会人の学びというのは本来そういうものではないでしょうか。
とはいえ、社会人にはなかなかそういう訓練をする場がないですね。磨いてくれる質問はそもそも自分が思っていないことを問うものですから、異質のものに会ったときこそチャンス。そこから自分で何を創造できますかというのが、社会人の学びだと思っています。
それがないから仕事没頭型になって、多くの人が大事な個性を磨けないままになっている。だからこそ、その場を提供したくて、私はプロフェッショナル・スタディーズをつくったのです。
平野つまり好奇心を大事にできるといいですよね。どうしても私の経験上、日本の教育は、好奇心を殺しているようなところがあるかなと感じます。
曄道そうですね。私はどちらかというと優等生模索タイプでした。だから今、すごく反省しているんです。
平野優等生だったのですね。
曄道いや、俺はすごい、と思おうとしていたんです。だから今、こうなっちゃったんだみたいに反省しながら今日は話をしていたわけです。
平野そうですか。正直、私は対談の機会をいただくことが多いですが、今日の対談は今までで一番面白かったです。
曄道私自身が反省の域まで達したからでしょうか。
【おわりに】 新しい時代を迎えようとしている日本社会が渇望しているものは、出会ったことのない刺激ではないでしょうか。とりわけ経済社会の牽引者たちが、刺激に満ちたメッセージを社会に振り撒いてくれることを、多くの人々が手を広げて心待ちにしているように思えます。その意味で、この「求道者たち」は、大きな役割を果たしたものと自負します。対談したお一人お一人に、葛藤があり、失敗もあり、しかし今に導かれる一つ一つのご経験が、素晴らしい物語として色彩を放っている。まるであたかもそれが構想されていたかのように。そんな印象でお話を伺っていました。役得として、私はお話をリアルに伺い、時と空間を共にさせて頂きました。一つ一つの物語が、「情報」としてでなく、「経験」として私の心に残っていくことと確信しております。
対談をご快諾いただき、お時間を頂戴した皆様、本当に有難うございました。また、このシリーズを企画し、モデレーターを務めて頂いた松本美奈特任教授にも、心から御礼申し上げます。(曄)