求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

「夢の翼で地球を守る(2) 日本航空会長  植木義晴氏氏

時代の変わりようが激しくなっている。電気飛行機、無人操縦も視野に、準備を進めているという。当然、働く人たちの姿も変わってきたし、さらに変わろうとしているようだ。男性職場とされてきたパイロットの世界でも。「女性、いいですよ。男、要らん」の真意は?
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)

女性は肝が据わっている

― 「女性、いいですよ。男、要らん」? その真意は。

植木 僕がパイロットの訓練していた、まだぺーぺーだったころは、「この仕事は女には無理だ」という固定観念が正直言ってありました。だけど、自分がキャプテンとなり、ジェイエアという子会社に出向したときは、全く考えが変わっていましたね。そこでは3人の訓練生、女性1人と男性2人を教えていたとき、いつも男性2人に言っていたのは「彼女の爪の垢でも煎じて飲め、こいつが一番根性が据わっている」でした。性別なんかで区別する必要は全くない、女性のほうが肝が据わっていますよね。

― それはありがたい言葉です。本学には理工学部がありますが、なぜか女子学生が少ない。社会においても、まだまだ女性は補助的という風潮が根強く、特に航空会社、パイロットという職種は、男性社会のカラーがとても強い。それだけに会長の言葉はありがたいです。

植木 パイロットのほうが女性が伸び伸びとできると思います。だって、これ、腕が証明するんですから。計器はキャプテンと副操縦士サイドとで、全く同じものです。自分の責任で飛行機を操縦して、その全ての結果が瞬時に数字にあらわれる。男も女もないですよ。
 むしろ、地上の世界のほうがよくわからないバイアスがいっぱいあって、結果の評価も見えにくい。いつまでも、男の目線、男の巻き尺で女性を見てますよね。パイロットから地上に降りて、机で仕事をし始めてから、こちらのほうが、よっぽど女性の活躍が難しいと思うようになりました。

曄道 そうですね。理工系に女子学生が少ないという話がありました。女子は理系に向かないように育てられてしまうから、そうなるわけですよね。最たるものは、私は機械工学なんですけれども、小さいころに、私の周りには、小さいころから例えば、ラジオを分解するのが好きでとか、そういうことをしていた学生や同僚がいっぱいいます。ところが、女の子にそういうことをさせないという環境があるから、結局、そうならない。

植木 女の子へのプレゼントは人形を与えるわけですよね。

曄道 そうです、おっしゃるとおりです。

植木 その一方で、男の子にはミニチュアカーを与えたり。

曄道 学生たちがどっちの方向を見るか、一つの独立した存在としてそれを見させているかというと、そうとも言い切れない。日本の社会の土壌なのか、教育現場なのか、家庭かに、確実に方向性を決めさせる何かがある。女性の活躍についてすら、根底がゆらゆらしているところで議論しているようなものです。社会だけでなく、高等教育機関、さらには中等教育、初等教育、家庭……そういったところでも、こういう課題に関しての議論が必要だと思いますね。
 今、多くの若い人たちは、結局、自分はどうなるんだろうということを物すごく意識しています。自分が目指す先がどうなっているのかということは、彼らはとても敏感に見ています。それこそ、先ほど見せていただいた役員室のレイアウト、そういう文化があるということは、若者たちにどんどん発信していただきたいですね。

植木 女性活躍推進について言うと、うちは「なでしこラボ」というのをつくって、女性だけで物を考えさせたりしているんです。ただ、僕の中には、女性活躍を推進しているという気は、全くないんです。ただ、女性用と男性用の眼鏡二つを使い分けていない、一つの目で見ているだけです。
 うちは、役員33名ぐらいかな、その中に少し前まで、代表取締役専務という女性が一人いた。その人がやめて、今はプロパーの女性役員が3人いる。これが3分の1、10人を超えたときにJALはきっと変わる、そう信じているんですよ。

曄道 それを推進すると?

植木 そう。絶対そうなんだって。男だけじゃつくり得ない世界を女性はつくれる、この感性の違い。

― 働き方改革の中で、雇う側の倫理も問われます。今おっしゃられた、女性用と男性用の眼鏡を使い分けない、これは重要な要素ですよね。

植木 そうですね。それはどこかで習ったというんじゃなくて、自分の生きる心情としてそうやってきただけのこと。ひょっとしたら子ども時代からの育ちで、自分がそうなってきただけのことですから、努力したわけでも何でもないんだけど。

バッタモン社長

― お父様は映画俳優の片岡千恵蔵さん。「子ども時代の育ち」はそこからでしたね。

植木 俳優の息子として生まれて、何をとち狂ったか、パイロットになりたいと思って、日本航空に22歳で入ったわけです。57歳まで35年間、飛行機を飛ばすことだけを学んできた。これならば世界中、誰にも負けないぞと思ってやってきた。
 ところが、57歳のときに日本航空が経営破綻し、執行役員に請われて、悩みに悩んだ結果、よっしゃ、やったろうと思って、自分からパイロットの道を捨てて、そこで役員になった。そうしたら、たった2年の地上生活で社長になった。しかも、日本航空の60年の歴史で一度もいなかったパイロット出身の社長となった。
 「求道者」の対談で、私の前に対談していた小林喜光さんや佐藤康博さんは正統派ですよ、俺から言えば。僕は自分で言うのも何ですが「バッタモン社長」だよと。偽物とでもいうか。なぜ、僕みたいな社長が生まれたかというと、経営破綻と稲盛和夫という人がいる中に、植木義晴が加わったときに化学反応が起きて、それの反応物として社長が生まれた。これと同じようなことが二度と起こるかって、わからないですよね。
 でも、あの時代は、恐らく正しかったんだろう、それが。それが証拠に、僕はパイロットの社長を指名していませんので。どんなに大変で、どんなに難しくて、どんなにリスクがあるかは、誰よりも僕が知っているから。でも、僕が社長になるときに、それを知っていながら信じていたのは、僕じゃなくて、稲盛さんなんです。彼だけが見通していた。自信があったんでしょうね。

― なぜ「よっしゃ、やったろう」と役員を引き受けたのですか。どう考えても大変だし、パイロットは天職だったのですよね。

植木 確かに、役員を引き受けるというのは、僕が40年間やってきたパイロットの道を捨てたということです。地上で生きることに方向転換をしたのが役員。その延長に社長があった。僕にとって、一番大きかったのはそこで見切りをつけたこと。みずから操縦桿を置いたこと。僕はもっともっと飛んでいたかったですよ。俺はパイロットの天才だなと思っていましたから。こんなに楽しくて、天職だと自分で思っている仕事を、なぜやめないかんと。

― そう、そこです。

植木 それは、破綻したからなんです。うちには運航本部長という役員のポスト——パイロットの親玉やけど——があります。運航本部長になったらパイロットはやめるという不文律があった。もし破綻というのがなくて、そのオファーを受けていたら、僕は間違いなく会社をやめていた。

曄道 操縦桿を握り続けるということは、許されないんですか。

植木 それは許されない。執行役員とパイロットの、2足のわらじは、なしなんです。

曄道 あるいは、執行役員のオファーを断って、自分はパイロットで、という選択はどうでしょう。

植木 それもなかったですね。何でかと言うと、自分たちの先輩で、パイロットをおりて運航本部長を引き受けてくれた先輩たちを見てきているわけですよ。彼らだって、飛びたかった。だけど誰かがやらないといけない。自分を犠牲にしてでも努力してくれた人がいる中で、俺だけ飛ばしてくださいと、そんな恥ずかしいことはできない。まあ、勝手な、男の美学ですよね。そのときにはやっぱり、会社をやめて、きっぱりと、そことは縁を切って就職活動するということです。LCCも立ち上がり始めたから、何とかなるやろうと思っていたから。

― しかも、会社の経営は破綻していた。

植木 植木 破綻をして、言ってみれば、泥船に当時は5万人が乗っていた。大海を航海して、放っておいたら間違いなくこの泥船は沈み、5万人が死んでいく。何人助けられるか知らないけれども、誰かがその再建の指揮をとらないといけない。であれば自分の出番かな。自分一人だけ、その泥船から先にボートに飛び移って逃げていくのは違うなと思った。だったら、この泥船と一緒にできるだけのことはやってみよう、それを自分の第2の人生の目標にしようと、その瞬間に決めた。

― それが「よっしゃ、やったろう」と言う言葉の根底にあったのですね。

植木 そう。そのかわり、40年の自分のほぼ全てとも言えるパイロット人生を捨てるわけですから、捨てて悔やむことだけはしたくなかった。どんなことがあっても、この会社を再建してやると思いましたよね。

― 後悔は、何一つない。

植木 ないですね。だからその瞬間に全てのパイロットに関するものは捨てました。例えば残していた誓約とか、一生懸命頑張ってつくった大量の資料とか。それから写真、パイロット時代のやつは、全部、焼いて捨てたんですよ。

― 焼いて捨てたんですか。

植木 うん。困ったのは、社長になったときに「パイロット時代の写真ください」と言われて、「ありません」と言ったら、「ないわけないだろう」と。「いや、ないんです、本当に」、「いや、おかしいですよ、植木さん」と言われたんやけど、仕方がないから同級生から一生懸命集めてきて、「俺の写っているのないか」、みたいな。だけど、そのぐらいの覚悟をしなければ、会社の再建をする、全く新しい分野で生きていくなんていうことは、未練残していたらできないと思ったので、その時点で全部過去は捨てた。

― 退路を断つ。そのときに未練はないのですか。

植木 ないですね。そうじゃないと、この年齢、57歳で役員務めるような努力はできないだろうなと思ったので。背水の陣ですね。背後に川を置いて、あとは死ぬか、前に行くか。この二つに自分を追い込むのって、ぞくぞくとしませんか。

リスクだらけの道をあえて選ぶ

― ぞくぞくですか。

植木 僕、Mなのかもしれませんけど、自分の人生を振り返ってみて、分岐点にさしかかったときに、こちらは平穏な道、こちらはリスクだらけの道がありますよね。そのとき、必ずこっち、リスクだらけの道を選びますね。多分これ、性(さが)なんだと思います。

― 必ず、リスクがあるほうを選ぶことが「性」ですか。

植木 そのかわり、リスクの先は効果があるんですよ。楽な道を行くよりも、もっと早く着けるとか、何かの効果があるわけですよね、リスクがある道は。そっちを求めますね。だから危険ばっかり求めるのは僕の持っている性ですよね、きっと。

― 性の根底には、何があるのでしょう。

植木 楽しいことをして生きていたいんですよ。みんなと同じことはしたくない。だから、僕の一番嫌いな言葉は「並(なみ)」。並になるぐらいなら並下でいい。人と同じことをして、植木さん、並ですねと言われるぐらいなら、土下座までおりたほうがまだましぐらいの感じ。自分がそういう人間だと自覚したのは、本当に、社長になってからぐらいですよ。
 でも、過去の人生を振り返ってみると、「ああ、全部、並から外しているんだよな、俺は」って。今ごろになって気づいているんですよ。パイロットは、たった二人きりの世界ですよ。客室乗務員、整備を率いているとか言ったって、実際は、あの狭い(操縦室の)中にいるのは2人だけですよ。この世界の中で35年育ってきたら、ほかの人と比べるということはないわけです。そうしたら、自分がどういうポジションになるとか、自分って並なのか、上なのか、下なのか、もうわからない。僕はずっと、自分のコンプレックスは「並」だということだったんですよ。
 初めて、そこの世界から出て、本社というところに来て、何でこの人たちはこんなに考え方が違うんだと思ったときに、「あっ、俺、並じゃないんだ、変人なんだ。」と気づいた。「変人」「奇人」「宇宙人」と呼ばれ、最近は「変態」とまで呼ばれているんですよ。この変態と呼ばれることを、ぞくぞくとうれしくなっている自分がいる。

― さっきは、「バッタモン社長」でしたし、今度は「変態」…。そもそも、植木会長を引っ張ったのは稲盛さんと言われていますね。「経営の神様」とも言われる方と一緒に歩かれたことをどうふりかえっていらっしゃいますか。

植木 一緒になんか、歩いてまへん。稲盛さんと僕は、恐らく、みなさんは一番弟子とか、最後の弟子とか、こんなふうに思っている。僕から言わせれば、稲盛さんと僕との歴史は、戦いの歴史です。
 僕が戦いを挑む。ぼこぼこに負ける。挑む。負ける。これが繰り返された。あるとき「おまえがそこまで言うんやったら好きなようにやってみい」と言われて以降は、何も言われなくなりました。顔を見せるだけで「ああ、おまえか、好きなようにやれ」って、ハンコを押してくれる。
 社長になってからもそうでしたけれども、戦いを挑まない限り、何もくれない。それぐらい厳しい人ですよ。社長にしたんだから餌を与えてやろう、いろいろ教えてやろうなんていう人ではないです。何かを得たいのであれば、自分から戦いを挑んで、自分で吸収して盗まないと。そういう人を待ってたんですね、稲盛さんは。思うつぼにはまってしまった。

― 後から分析すればそうでしょうが、当時は再建に向けて、夢中で戦いを挑んでいた。

植木 そう、どうしても再建したいから、経営の神様だと言われる人だというぐらいは知ってたけど、何ぼのもんじゃいということですよね。航空会社のことなら、俺のほうがよく知っていると思って、戦いを挑んだんだけど、負け続けでしたね。

― でも「あるとき」から。

植木 そうそう、多分、認めてくれた瞬間なんでしょうね。あとは、おまえの好きなようにやれと。とにかく、パイロット上がりは運航本部長か安全のポストにしか役についたことがないんですよ、JAL60年の歴史の中で。それがうちの会社の当たり前。ところが、1年もたたないうちに、僕は配置転換を食らって、路線統括本部長という、国内、国際、全ての事業を責任持って、そこから収支を上げていく大責任者に、専務として抜擢されたんです。考えられないことなんですよ。「ありがたいお話ですけど、何の知識もない、経験もない僕は、その路線統括本部長をやるべき力が全くない」と言ったら、「そんなこと、おまえに言われんでも俺のほうがよく知っている」と返された。「それでもいいんですか」と言ったら、「おまえしかできないからやれ」と言われた。だったらやらせてもらいますと。あとは、自分のやり方でやるしかないですよね。

― それが冒頭の言葉につながるのですね。「一番努力し、勉強し、学び、そして、実際に机に向かっている時間が長かったのは社長だった6年間」と。

植木 社長になって6年間、その前の1年間もそう。自分の望んだ人生ですよね。パイロットからこっちに、途中で自分で変えた。大概の人は、役員のオファーをもらったから「はい」と言って役員になったと言うんですよね。僕は違う。オファーはもらった、選択肢はもらった、選ぶのは俺だ、選ばない可能性もあるということですよ。やめればいいんです、会社を。だけど会社をやめるという選択肢を持たない人が人事異動に対して選ぶ権利はないわけですよね。それでは人生、つまらんやろうと言うんです。

【ひとこと】 選ぶ。これがキーワードだ。リスクだらけの道をあえて「選ぶ」。退路を断つことを「選ぶ」。役員のオファーをもらったことすら「選択肢」の一つ。選ぶことは「捨てる」こと。植木会長は、パイロットという天職を捨てた。それでもなぜだか愉快そうなのだ。この明るさはどこから来るのだろう。(曄)