求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

夢中になれるビジネスを創る(上)オイシックス株式会社  髙島宏平氏

仲間でやること、誰かを喜ばせること―「オイシックス・ラ・大地」の原点は、髙島宏平氏の「夢中になれる条件」にありそうだ。夢中になればいいというだけではない。キーワードはファーストペンギンとリーダー。最初に海に飛び込むペンギンの勇気とリーダーとしての気概。さて、どんな話が聞けるか。 モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)(インタビュー実施日2021年5月31日)

スキルとウイル

曄道今のお話、すごく共感できます。誰かを喜ばせたいという思いも、仲間というキーワードも。私自身が仲間を実感したのは、野球でした。
 先ほど、学生時代に情報系を学んでいて、どうして自然相手のビジネスを始められたのか、と恐らくなんかバカなこと聞いてるなと感じたと思うんですね。私自身もそう思っていました。社長の、夢中になれる条件が積み上がってビジネスとして開花していたのですね。
 今、私どものところで学んでいる学生は、専門に学んでいる学問が何か、だからその中で自分はどうならなきゃいけないのかを考えている傾向が強い。そうした学生たちとは次元の違うところでご自身の道をつくっていらっしゃるのですね。むしろその方が自然だなと思いました。
 今の大学生はどちらかというと、私は何々学部の何学科に入りました、こういう仕事に就きたいと思っているんですけど、そのためには何をすればいいですかって言います。それでは、夢中になりようがないですよね。夢中になれる条件をつかむ機会がなかったのかもしれない。我々のような大学を預かる者として、そうした環境下に学生が置かれていること自体に問題意識を抱いています。
 ところで髙島社長からご覧になると、今の大学はどうでしょうか。もし今の大学で学ぶことになったら、肯定的に受け止められそうでしょうか。今の大学には魅力がないと感じるでしょうか。

髙島 僕も大した大学生活を送ってないので、偉そうなことは言いにくいです。ただ、うちの社員にはいつも、スキルとウィルについて繰り返し伝えています。スキルをどう伸ばすか、ウィルをどう伸ばすか。スキルだけでなく、そのスキルを支える気持ちやモチベーション、夢中度みたいのをどう伸ばすかを常に両方考えておかなきゃいけないと。さっき言った夢中になることを知った人にとって、大学ほど使い倒せる環境はなかなかないだろうなと思っています。
 一方で、モチベーションがない人が大学でスキルだけを身につけることは、とても生産性が低いのではないでしょうか。
 僕は情報工学に進み、ゲーム理論とかを学んでいました。どちらかというと経営工学に近い内容です。既に自分は大学4年生ぐらいから会社を1つ作っていました。経営を始めていた、だから、とにかく学びたいんですよ、経営工学を。どうやってビジネスをやっていくのかとか。特にその当時は、インターネットをどう接続すると一番コストパフォーマンスがいいかを聞いてくるクライアントもいて、大学で教えてもらったものでビジネスができる感じでした。

― ウィルとスキル、両方を大学で伸ばしていたわけですね。

髙島 ウィルとスキルのどっちが先かと言ったら、ウィルが先です。ただ、ウィルを持たせることが大学の仕事かどうかは、僕には分からないです。それは個人の問題のような気もしますし、大学が支援してあげてもいいかもしれません。ウィルがあれば、大学によって得られるものが全く違うだろうなとは思います。

曄道おっしゃるとおりですよ。ウィルは学びの原動力です。

髙島 だから、本当は平均的に学校なんかに行ってないで、大学1年とか2年はウィルばっかり磨いて、ああ、俺はこの道で生きていけるってわかってから、単位をいっぱい取りまくるとかでもいいような気もします。
 何となく大学1年に取らなきゃいけない単位、2年に取らなきゃいけない単位というのがある中で、ウィルが育成されないとモラトリアムっぽくなってしまうとも感じています。

曄道私自身も、新入生とか場合によっては高校生に、上智大学に来たら上智大学の環境を使い切ってください、私とあなた方の競争は上智大学を使い切れるかどうかです、と話すときがあります。そのときの学生たちの反応は、明らかに2つに分かれます。使い切ってやろうってすぐに思える学生と、使い切るって一体何なんだろうという学生。その意味がやっぱり通じない層がいます。大学で学ぶ動機がそもそもないからです。何々学を学ぶ面白さとはこうですという説明は、何々学自体を知らない学生に向かって言ってみてもほとんど通じない。にもかかわらず、何々学を学ぶ面白さを動機にしろという方が酷です。学ぶ動機づけが自分から生まれるというきっかけづくりが、高校・大学ぐらいの中で果たされると、恐らく社長のような道筋がつくれる人も出てくるのではないかなという気がするんです。

大学で打席に立ってみる

― ウィルはどうやって見つけるのでしょうか。

髙島 結構、打席数が大事だなと思っています。スポーツで考えると、野球もサッカーも空手も剣道も卓球もやってみて、でもやっぱり野球をやろうという選択をする時には、やっぱりそこに夢中になれそうだなっていうものがあると思う。音楽でもいいし、囲碁、将棋とか、ボランティア活動、外国人との接点とか、インターンの経験とか、やっぱり打席に立ってみないと、どこで自分がぴくっと反応するか分からないです。幼少期に見つけられた人は珍しいですよね。例えば親が体操教室に行かせて、自分も体操を好きになったと言ったケースは珍しいと思います。やっぱり高校生から大学生の前半ぐらいまでの間に立つ打席の数が多いと、夢中になれる、何か自分がぴくんと反応するのは何かに気づける人は増えるのではないかなと思います。

― 打席に立っても必ずしも活躍できるわけではない。空振りをするかもしれない。痛い思いをしたくない。だから打席に立ちたくない、挑戦をしたくない、という学生は一定数いますね。慎重です。

髙島 それはたぶんうそだと思います。子どもが高い所から落ちるのは、痛さを知らないからですよね。高い所から落ちると痛いとか、やかんを触ったら熱いと知らないから、落ちるし、やかんにも触る。失敗すると怖いと言っているのは、本当の怖さを知らないからでしょうね。経験していないから、痛みなんて分からないですよ。
 でも、怖いと思うようなことはやらなくてもいいかもしれません。やってみようと思わないことは、たぶんその人に向いていないのかもしれないからです。

― やってみようと思わないことはやらなくてもいい。でもそれで打席を増やせますか。

髙島 スポーツであれば勝ちとか負けとかはありますけど、例えば絵を見ることには、勝ちも負けもないですよね。詩を書くとかも。何に夢中になるかには、必ずしも勝敗がくっついてくるものばかりでもありません。勝敗がついてくるものが苦手だなと思ったら、別の打席に立ったらいいような気がしますね。

― とにかく何でもやってみるということですね。

髙島 そうです。とにかく打席立たないと始まりません。僕もいっぱいいろんなことやってきたから、自分が向いてるものを言語化できるようになりました。でもやっぱり、向いていないことも体験しないと何が向いているか分からないですね。うまくいかねえなとか、全然面白くないなとか、何だか他の人より苦手みたいだなとか、そういうのを経験しないと何が得意なのか分かってこない。だから必要だとは思いますけどね、向いてないことを経験するということも。

― そういうときはやめるのですか。これは向いていないと自覚して。

髙島 自分でやめていい。やめるんです。無理しなくていいような気はしますね。

ファーストペンギンの社会的インパクト

― なるほど。向いていないことはやめてもいい。でも、まずは体験する、ということですか。そういえば、ファーストペンギンでありたいと読売新聞のインタビューでコメントされていました。ファーストペンギンは怖いですよね、シャチが襲って来るし。そういう怖さは打席に立つにあたり考慮しないのですか。

髙島 怖いと思ったことは、一回もないですね。
 ファーストペンギンでありたいというのは、実はすごく残念なことなのです。自分たちがまだちっちゃい存在だからなんですよね。例えば東日本大震災の後、僕らはおそらく小売業で1番初めに野菜の放射能検査を手掛けましたが、小さいのでそれで日本の人々全体を安心させることはできない。今回のコロナ禍でもかなり早いタイミングでレストランの応援を始めたり、医療従事者向けの食品支援を開始したりしましたが、僕らだけでは医療従事者の生活を支えることはできないし、レストランの経営を支えることもできないのです。だから、やむを得ないですよ、ファーストペンギンになるのは。ちっちゃいんでファーストペンギンになるしかないのです。
 もし僕らが大きければ、自分たちがやれば終わりだと思うんです。今の100倍ぐらいの規模感があれば、あえてファーストペンギンにならずとも、自分たちが動けば一気に事態が動くはずなのです。ちっちゃいと、正しい行動をしても十分な社会的インパクトを出せない。だから、できるだけ派手に、みんな見てよ!ってやって、さらに、みんなもやろうよ!と声かける。まだちっちゃいから、ファーストペンギンになるのはしょうがない。

― 小さいからこそファーストペンギンとして行動しているということですか。

髙島 そうですね。

曄道私はこちらの規模が小さいとは思いませんけれど。ただ、社長がおっしゃる意味での「小さいからできる」ことというのもありますよね。

髙島 そうですね。

曄道それは意識的に狙っていらっしゃるのですか。

髙島 確かに自分たちを客観的に捉えると、「小さい」という割には大きいというか、「大きい」にしては小さいというか、ともかく、これぐらいの規模で他のどこよりも意思決定を早くすることでインパクトを出しやすい、そういう位置にいますね。たぶん僕らが今の10分の1とか100分の1の規模だと、社会からみれば「そういう人たちもいるよね」という程度の印象の規模かもしれません。今の規模感でいうと、早く動くことがやはり大事なのかなとは思っています。

曄道それは私が思ってる上智大学の規模感なのです。今、社長がおっしゃったことがまさにそうなんです。

髙島 なるほど。

曄道我々も総合大学の中でいったら図抜けてちっちゃいんですよ。
 でも、本当の小さい大学から見ると、「あなたたち、何で小さいなんて言えるんですか」という程度にはあるんです。

― 比較の問題ですね。小さい、大きいは。

曄道ああ、なるほどね。今の社長のお話からはいいヒントをたくさんいただきました。

髙島 いいじゃないですか、楽しそうじゃないですか。「ちっちゃい規模感」は正直にいうと、やりたい放題ですし、目立ちやすい。

リーダーとは「勝利に導く人」

― 大小の規模感はあったとしても、そこでのリーダーとは何でしょうか。2000年にマンションの一室でオイシックスを創業したときのリーダーと、今のこの規模でのリーダーは違うのでしょうか。

髙島 リーダーの定義は、チームを勝利に導く係ですよね。勝利の定義はチームの規模によって、その時々によって変わってきます。時代背景によっても変わってくるでしょう。今このチームにとっての勝利は何で、このチームの勝利を導くのにいいリーダーは何をすべきかということは、どんどん変わってくる。どんな組織でも。それを決めて、大根役者なりにそれを演じるって感じですよね。

― チームを勝利に導く役割であることは変わらないけれど、勝利の定義が変わる。それを大根役者なりに演じていくということですか。

髙島 はい、去年まで演じてた役と違う役を同じ人が演じなくてはならないので、気恥ずかしかったりしますけど。

― 観客が同じだということもありますか。

髙島 でも、リーダーは勝利に導く人、係であることは変わらない。それが同じ組織で同じ目標のときはいいですが、同じことという場合は少ないです。組織は常に変化して、世の中も変化していきますから、勝利の定義もリーダーシップの取り方も違ってきますね。

― 最後に1つ。日々、どのように学び、遊んでいらっしゃるのかってことをお聞かせください。趣味でもいいし、好きな本でもいいし。

髙島 趣味が全然なくて。そもそも会社の仕事と会社以外の仕事という区分けもあんまりなくて、全部活動という感じなんです。

― 活動、ですか。

髙島 一生懸命生きてます、という感じです。この部屋の入り口にアートの作品を展示してありますが、見ていただけましたか。「大地の芸術祭」を手掛けるNPOの副理事長をやったり、車いすラグビー連盟の理事長をやっていたりとか、経済・財界の何だか難しい役職やったりとか、打席にいっぱい立とうとはしています。アート団体の経営とか、パラスポーツの経営とか、何をすればいいのか分かっているわけではないです。でも、そういった何だかよく分からないところに身を置いて、自分は分かっていないなあということを体で感じている。そういうの、何だか好きですね。

曄道それは共感します。わかっている自分だけではなく、わからない自分すらも、俯瞰すると妙に楽しい。未知の分野が好奇心をかき立ててくれるということもあるでしょう。私にとっては、学問も大学の経営も同様に未知で、だからこそ取り組みがいがあると感じています。

髙島 多分、半分は勝ち筋が見えているっていうのがあるんですよ。何でもかんでも新しけりゃいいっていう感じでもありません。そろそろ年齢的にも、結果を出してかなきゃいけない時期に来ました。だから、自分が行けばこの団体は、さっき申し上げたように、この団体の勝利に、チームを勝利に持っていくことができるかもしれない、勝てるかもしれないという感覚と、でも一方で、経験したことがないことを経験できそうだなという、新たな打席感がある。その両方があることだけ今はやるという感じです。だから、どっちもそろっていない限り、たぶん引き受けない。これまでの経験だけで勝てそうなことはやらないし、新しいことであるけれど勝てそうな気がしないときもやらない。どっちもという感じですね。体が健康な限り打席には立ちまくります。

― 最後に、次の求道者をご紹介ください。

髙島 NPO法人「ETIC」の元代表・宮城治男君をご紹介します。ETICは日本のNPO界の土台みたいな存在なんです。宮城くんはそれを大学在学中の19歳頃に立ち上げて、25年ぐらい活動をしてきた。見た目も求道者っぽいんです。僕は大学生の頃からの友人で、でも僕とタイプ違うんです。彼がいたから、日本のNPO界が市民権を得てきた。彼の貢献は大きいですよ。
 震災後にNPOの力が認識されて組織の数も増えました。そういう社会活動をしている人の中でETICのお世話にならなかった人は、ほとんどいないのではないかと思っています。学生時代、ETICでインターンを経験したとか、ETICから人を派遣してもらって、その人と一緒にやってるとか。日本のNPO文化のベースをつくった人で、道を究めてると思います。

― 求道者ではなく、「究道者」ですか。ありがとうございました

【おわりに】 リーダーとは、チームを勝利に導く人。経験に裏打ちされた言葉に、胸を打たれた。「人を喜ばせたい」と考えたとき、必ずしもチームは社員だけとは限らないだろう。髙島社長はチームの範囲をどう考え、勝利のありようをどうイメージしながら歩いてきたのか。こんな言葉を胸を張って言える学生を育てていかなければ。(曄)