求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

進化のために、しっかり手放す

手塩にかけて育てれば、愛着がわく。まして人生の半分以上の時間を費やしてきたとあれば。「それでも進化のために、しっかり手放す」というのは、起業家育成に取り組むNPO法人「ETIC.」の創設者、宮城治男氏だ。「起業家」なる言葉が奇異に響いた時代に学生の身で小さな団体を旗揚げして28年。1,600人を超える起業家を世に送り出し、全国の企業や学校から熱い視線を集めるようになった。その組織をキッパリと手放したのはなぜか。道なき道を切り拓く中で見えてきた風景を語ってもらった。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)(インタビュー実施日2021年7月26日)

みやぎ・はるお

1972年徳島県生まれ。
早稲田大学在学中の1993年、学生起業家の全国ネットワーク「ETIC.学生アントレプレナー連絡会議」を創設。
「起業家型リーダー」の育成に取り組む。2000年にNPO法人化、代表理事に就任。
2011年、世界経済フォーラム ヤング・グローバル・リーダーズ選出。
文部科学省参与、文部科学省 中央教育審議会 臨時委員などを歴任。
2021年6月にETIC.の代表理事を退任する。

起業との出会い

曄道初めまして。今日は上智大学までお越しくださってありがとうございます。
 この求道者という企画は、私自身の危機感からスタートしています。学びには本来、終わりがないはず。そのことを、大学を出たらもう学ばなくてもいいと勘違いしている学生たちに伝えたいのです。それも、社会の前線で働いている、戦っている方々の言葉で、日々どのように生きて、考え、学んでいるかを。生きることと学ぶことは同義語ではないか、とも考えているからです。今日はどうぞよろしくお願いします。

― 宮城さんをご紹介くださったのは、オイシックス・ラ・大地の高島宏平社長です。「宮城君がいなければ今の僕はいなかった」とか。思いのこもったひとことでした。高島さんとはどのようなお付き合いがあったのでしょうか。まずはそこから話していただけますか。

宮城 彼とはずいぶん長い付き合いです。学生時代に、彼が東京大学の学生だったときに出会いました。私は当時、このETIC.の前身とでも言いましょうか、大学生を集めて勉強会を始めていました。1993年頃でした。当時はまだ、大学生が自分で事業を起こして経営者、社長になっていくなんてことは選択肢として全くなかったのです。そういうことを学校や大学で教えるケースも皆無でした。私自身、社長というものは、入社して何十年か耐え忍んで、その中のごくひと握りの人が定年間際になるものというイメージでした。
 私の父は徳島でスーパーを経営していました。次男でもあり、スーパーを継ぐのは兄というイメージで見ていました。そんな身近な例も手伝って、自分が社長になるというのはキャリアの選択肢として出てこないし、教わったこともない。考えたことすらなかったんです。

― そうした中で、なぜ起業を視野に入れた勉強会が始まるのですか。

宮城 たまたまです。先輩が起業家を支援するNPOでアルバイトをしていて、たまたま知った。これはまず、同世代の仲間たちに知らせなきゃいけないなと思ったのがきっかけでした。社長になりたいなんて全く思わなかったけれど、これは伝えるべきだということは感じました。それで、先輩の起業家に大学に来て話をしていただく会を開き始めました。高島さんは初期の頃の参加者でした。当時の学生にとって、ベンチャーの社長と知り合う機会はそうはなかったと思います。相当インパクトがあったのだろうなとは想像できます。一方で高島さんみたいな先駆的な挑戦者が、次に続く若者のロールモデルとして、さらにこの道を広げてきてくれました。逆に今では彼とは一緒に震災復興支援の非営利組織をやったりしてご一緒する機会が増えたんですが、時代が大きく巡っていることも感じています。

― ジャーナリストを目指していた時代があったそうですね。仲間たちに知らせたいというのはその辺りから来ているのでしょうか。

宮城 高校生の頃、ジャーナリスト志望というよりは、情報の発信の仕方やメディアの在り方を変えるといったところに関心があったのです。それで早稲田大学に進学を決めたのですが、どういう視点が新しい社会をプロデュースする、あるいは社会の在り方を進化させるといったことを考えていたということはあります。
 私はテレビ全盛期に生まれ育った世代です。マスメディアの影響力が絶大で、かつ充実していた時代に育ったこともあって、その在り方を進化させていくことが社会の進化につながると捉えていました。

曄道起業という概念を学生の仲間に伝えたいという意識は、大勢が関わらないと社会変革は実現できないと考えられたからですか。なぜ伝えたいと思われたのでしょう。

宮城そういう視点もあったのですが、「これは知らないことだ」という点が大きかったと思います。早稲田大学の仲間を見ると、みんな学生時代は好き勝手に自由なことをやっていました。音楽、演劇、ジャーナリスト、政治家になると頑張っている人もいれば、海外に出て活動する人もいた。でも就職活動の時期になると、みんなそこから足を洗い、大学に入る時と同じように、また「偏差値」で就職先を選ぶような姿を見て、なんだか虚しくなりました。会社に入った先輩が大学に戻ってきて、職場の愚痴をこぼしているわけです。こんなつまらない生活をするために一生懸命勉強して大学に入り、競争を勝ち抜いてきたのか…。
 起業家になるという生き方を知ったことで、起業家になれる力のある人にその情報を知らせないのはおかしいという、ある種の憤りに近い感情もありました。それ以上に大きかったのは、教育者というか、人生の価値観を豊かにしてくれる存在としての起業家です。人生の選択肢を自由にしてくれる存在とも言えます。それまでは、自分の将来は誰かの物差しで選ばれ、組織に入れていただくと考えていた。受け身になる生き方の選択の仕方しか知らされてこなかったのだと分かったのです。これに対し、起業家の生き方は、自分がやりたいこと、あるべきだと思ったことを自ら形にしていくという、人生に対する能動性を分かりやすく極端な形で表現した生き方だと感じました。人間的なパワーもすごいなと思ったのです。そういう人と会ったことがなかったのです。
 みんな起業家になれよとは、いまだかつて私は言ったことがありません。ただ、自分の人生を能動的に自由に考えられる、その自由を手に入れるきっかけになるということを教えられることにわくわくしました。教育者的な感覚が自分の中にあるのかも。祖父母が教師だったせいもあるかもしれません。

第一人者になれば食える

― 起業家になりたい同世代をサポートするというより、教育者的な感覚でしたか。

宮城私の中では、どっちかというと、メディアよりも教育者的な感じのほうが根っこにあって、そういう感覚で起業家という存在に光を当てたかったというのがありました。

曄道もし宮城さんが今、学生だったら、同じことを仲間の学生に伝えたいと思うでしょうか。今の学生は能動的に生きざるを得ないのです。当時は能動的に生きることもできると伝えたいと考えたでしょう。でも、今は能動的に生きざるを得ない。そうしないと立ち位置を失ってしまうという時代ではないかと捉えています。

宮城共感します。当時も既にそういう時代になっていたと思いますが。ただ、まだ自分をだませた時期だったのかもしれません。私は団塊ジュニアのベビーブーマー世代で、生まれたときにはもう高度経済成長が実現されていました。ですから、一生懸命働き、世間が評価する大きな組織に入って勤め上げることの先に自分の生きがいとか幸せがあるという風潮に対して、疑問を持ち始めていたと思うのです。とはいえ、行動を起こす機運まではまだなかった。私自身の中にも迷いがありました。みんなが目指していた憧れの会社に受かったら自慢できるし、親は当然、喜ぶ。結婚のときの条件としてもいい。そんな風に考え、行動してもよかったはずです。
 でも、自分たちにとっての生きがいとか幸せは、両親とか前の世代のように単純にはいかないという感覚はありました。学長がおっしゃる、能動的に生きなければいけない時代がやってくるという感覚がすごくあって、それに備えるような生き方の選択肢とか教育のプロセスがないということが、私の中では問題意識として強かったのかもしれません。

― それが行動につながっていくわけですね。起業家の話を聞く勉強会は、どう進化していくのでしょうか。

宮城次に私が始めたのが実践型のインターンシップでした。ベンチャー企業経営者の講演を聞いて、目の色が変わって成長する人が出てきたんです。その人たちが何をしたかというと、話をしてくれたベンチャーの経営者の下に弟子入りみたいな形で入り込んで、実際に仕事をしていくんですよ。なるほど、こういう方法もあるのか、実践を経ることによってこんなに進化するんだと気づき、それを1つのシステムとして提供していくことにしたのです。それがインターンシップです。そして、だんだん仕事にしていったのが、事業化のプロセスでした。

― そうして宮城さん自身が起業するわけですね。起業家を支えるNPO、ETIC.の旗揚げです。起業家になりたい学生たちを支えることが、どうしてビジネスとして成り立っているのでしょうか。

宮城端的にいえば、何とかしてきたという答えしかないですね。いつだって自転車操業でした。ただ、私たちのところに集まる人たちはみんな情熱があって、例えばもうかるとかもうからないとかということではない物差しで物事を判断できる人たちなのです。ETIC.に来ている社会起業家を志す人の事業の継続率、頑張り続けている確率は相当高いのです。私たちが2003年に始めた社会起業塾というプログラムは、20年近くやっていますが、継続率は9割近いんですね。マーケットはない、道なき道を切り開いているわけですね。同時にそれは、ライバルもいないことを意味しています。諦めずにやり続ければ結果が出る領域なんですね。これに、みんなが一斉に挑んでいる、例えばゲームの開発とかの領域だと、今や何十億、何百億というお金を投下して、やっと勝てるかという世界なわけですよね。でも、社会起業家の挑んでいる世界は、資本は全くなくても志と情熱と努力があれば第一人者になれるんです。
 第一人者になってしまえば食えるんですよ。国の仕事をいただくこともパワーにしてきましたし、今で言えば寄付とかクラウドファンディングも選択肢としては広がってきています。自分が本当にやるべきだと思う領域とか課題だと思う領域に、社会起業家的に挑むことは、社会が受け入れてくれる可能性がすごく高い。なぜかというと、求められているので。求められているのにやる人がいないという領域なので、大儲けは簡単にはできませんが、やり続けさえすれば結果が出るのです。

【ひとこと】 宮城氏が団体を旗揚げした1993年は、バブルが崩壊して雇用状況が急激に悪化し、多くの企業が新卒学生の内定を取り消し、社会問題となっていた。沈鬱な空気が世の中を覆っていた中で、道なき道を切り拓いてしまう。このバイタリティーと歩き続けるエネルギーはどこから生まれてくるのだろう。(曄)